私はパンツ その2

※直接的なものではありませんが、暴力的・性的表現があります。あときたない。

 トルソが私とズボンを膝まで下ろした。再び腰までたぐりあげられ、ズボンの内部で外光と外気から遮断されてから、私は今回の顛末を二枚の仲間へと報告した。
「今回もあまり出なかった」
「だな」
「困るね」
 シャツとズボンが相づちを打った。排便の様子は二枚にもわかっているに違いないが、知覚したこと全てを共有するのが我々の習慣である。元はといえば、ズボンに覆われて外界を知覚できない私に、二枚が代わる代わる情報を伝えてくれていたことに端を発する行いだ。ズボンが尻に大きなかぎ裂きを作ってしまった今では、あまり意味のない行為ではある。
「トルソは最近あまり死体を穴に入れてないからなあ」
 シャツがぼそりと呟き、ズボンは微かに身を震わせる。トルソの死が我々にとって何を意味するのかを知っているからには、それも無理からぬことである。
 トルソの上部、衣類に覆われていない突起には、ひとりでに、かつ複数回着脱可能なかたちで開閉するという面ファスナーのような仕組みを持つ穴があいている。トルソは時々この穴から振動を発したり、歯磨き粉やヨダレを垂らしたりするが、これはイレギュラーな事態であり、注目すべきではない。この穴の重要かつ主要な役目は、死体を入れられることだ。
 トルソの行動のほとんどは、この穴に何らかの死体を押し込むことを目的としたものだ。穴に押し入れられてからしばらくすると、死体は胴体の胸や腹のあたりへ移動する。しばらくすると死体は縮んで押し固められ(トルソの体内にある小さな手によって畳まれているのではないかと私は推測している)、便となって尻から出てくる。
 初めてこの行動を観察する時は、誰もがその異常さにあっけにとられるものだ。だが益々奇妙なことに、トルソは死体を定期的に体に押し込まないと死んでしまうのだという(この情報を得た時の衣装ケース内では、トルソは死体を穴に押し込まないことにより死ぬのか、死ぬことによって死体を穴に押し込めなくなるのかと議論の糸がもつれた)。
 我々が懸念するのはこのことだ。衣類はトルソに着られて移動するのであるから、それが死ねば当然動けなくなる。野外で日光と風雨に晒されることになれば最悪だ。更に恐ろしいことに、死んだトルソは衣類を汚損しさえする。リサイクルショップからやってきた上着によれば、死んだトルソはすさまじい異臭を放ちながら溶解し、タンパク質の染料になってしまうのだという。上着にそれを伝えたシミだらけの和服は、シミを除けば大した傷みもなく、また上等の生地だったにもかかわらず、何度クリーニングされても染み着いた悪臭と汚れが消えなかったために、とうとう殺されてしまったのだそうだ。
 この事実を知った時には、恐怖が生地を織りなす縦糸と横糸の奥、繊維の一本一本にまで、まるで液体洗剤のように浸透していくのを確かに知覚したものだ。しかしそれも今は昔、我々は皆死体など見飽きており、それが我々のトルソでない限りは、たかだかトルソ如きの死体に繊維を揺すぶられはしない。
 ズボンのかぎ裂きから覗く外界には、食器や玩具、電化製品に家具、その他私には用途もつかめない様々な物品が、皆死んだか死にかけた状態で転がっている。死んだ建物の窓に、割れ残ったガラスが壊れたチャックのように食いついていた。
「みんな死んでるなあ」
 私は変に感心した。死んでいる物品たちを気の毒には思うが、繊維を持たない連中にはどうも感情移入しづらい。
「僕の破れから外を知覚するなっ」
 ズボンがヒステリックに衣擦れした。かわいそうに尻が破れてからというもの、ズボンがノイローゼ気味だということを忘れていた。シャツが宥める。
「落ち着けズボン。パンツは何も悪くないだろう」
「黙れっ」
「おまえの気持ちは分からんでもないが、毛羽立ったところで何も解決しないだろうに」
「シャツなんかに僕の気持ちが分かるもんか。君も一度裂けてみればいいんだ」
 二枚が言い争っている間、もちろん私はただ布を拱いていたわけではない。私は善良な下着であり、下着とは繊細かつやわらかいものだ。私はズボンの毛羽を逆撫でして傷を広げないための、うまい言葉を探していたのだ。だが、完璧な謝罪方法を発案して前開きを開いた瞬間、私は別の事象に意識を引かれた。
「トルソだ」
「なに」
 シャツとズボンがこちらに注意を向ける。
「あそこの窓の向こうに。ほら、生きているぞ」
 ズボンの裂け目の向こう、死にかけた建物の窓の中から、生きたトルソの皮脂の臭いが漂ってくる。
「俺も知覚した。胸の生地に余裕がある方だな」
「スカートの方か」
 シャツが、続いてズボンが反応する。股間に出っ張りのない方だろうと私は反論したくなったが、思うだけで前開きを閉じておくことにした。下着とはこのように奥ゆかしく慎ましくふるまうものだ。
 異類の衣類である我々が知覚しているというのに、同族たる我々のトルソには全く気づく様子がない。トルソは胴体を衣服で覆い、突起の後面に毛を張り付けているため、突起の前面からしか周囲を知覚することができないのだ。理解しがたい習性ではあるが、我々はそのために移動できるのだから文句をつける筋合いはない。
 我々のトルソが移動しはじめ、もう一体とは接触しないだろうと我々が納得した途端、振動が空気を切り裂いた。トルソは突然向きを変えた。二体のトルソは何度か振動を交わし合い、かなりのスピードで互いに接近すると、そのままの勢いで接触した。腕と腕が洗濯かごの中の長袖シャツのように絡み合った。
「こんちはー」
「どうも」
 接触している胴体前面の生地を通し、相手のスカートが朗らかに挨拶した。ズボンはややぶっきらぼうに返事を返した。
「おお」
「うむ」
 シャツ達は曖昧に挨拶を交わした。シャツ類は競争関係になりがちであるため、概して相互に敵愾心が強い。私は黙っていた。ズボンの前面には傷がなく、その状態を詳細には知覚できないためだ。
 二体のトルソは激しく振動を交わしながら例の穴をぶつけ合った。
「どちらかを穴に入れるのか」
 シャツがぼそりと呟いた。
「まさか」
 我々はその思いつきを一笑に付した。

 トルソが突起を押し付け合っている。私は放り投げられ、シャツとズボンの隣に着地した。
「やあ」
「おお」
「うん」
 我々はぎこちなく挨拶をした。妙な気分だった。数秒遅れて前開きのないパンツがやってきた。
「あなた化繊ね」
「だからなんだって?」
「いいえ、なんでもないけど。私絹よ」
 こちらのむっとした様子に頓着せず、相手はツンとギャザーを張った。この汚らしい素材差別主義者め。私はこれ以上の会話を拒否することに決め、トルソの様子を伺った。
 二体のトルソは洗濯機の中の靴下のように複雑に絡み合っていた。最近二体は、しばしば互いに攻撃しあっては穴をぶつけ合い、衣類を取り除いた状態で絡み合う行為を繰り返すようになっている。
 前開きのないトルソと我々のトルソが遭遇してからしばらくの間、二体は仲睦まじく(ひとところに止まることがなく、あらゆる物品との関係を唐突かつ一方的に絶つトルソに仲睦まじいという概念があるかは甚だ疑問であるが、擬物化した表現として)暮らしていた。二体は缶詰やビニールを殺し、その死体から別の死体を取り出して、穴に押し込むことを繰り返していた。中の死体を取り除かれた後の缶詰やビニールの死体は捨て置かれた。せっかく殺したものをなぜ消費しないのか理解に苦しむが、トルソとは元来そういうよくわからないものであり、いちいち気にしてもいいことはない。
 だが今は物品を殺す頻度が下がったため、トルソらの穴に押し込む死体の量が減っている。当初定期的だった排便も滞りがちとなり、我々のトルソの胴回りはゆるくなりつつある(してみるとトルソの胴の膨らみは内側に入っている死体を詰め物として保持されているに違いない)。それに伴ってトルソ同士の攻撃頻度も次第に高まっているのだ。向こうのトルソのシャツなどそれによって傷ついてしまったほどだ。他にシャツはいないというのに、自らシャツに傷を与えて寿命を縮めるとは、トルソとはなんと愚かなものか。そもそもトルソに知性があるかどうかは疑わしいのだが、私はそう考えずにはいられない。 

 またトルソが争っている。我々も最早慣れっこで、いちいち気に留めはしない。しかしまたお決まりのくだらない諍いだろうと思っていたのに、少し今日は振動が激しい。我々のトルソの上部の穴が大きく振動を放つ。向こうのトルソも激しい調子でなにか振動を返す。そして、二体のトルソはほとんど同時に互いをもみ合い始めた。
「まずいぞ、相手を破く気じゃないかこれは」
 ズボンが怯えた調子で収縮する。トルソは互いの部品を引っつかんで、互いの腕や足、それに突起をむしりとろうとしている。
「やばい、刃物だ」
「刃物!?」
 私も怯えて収縮した。刃物はあらゆる衣類の天敵だ。奴らに引き裂かれて死んだ衣類は数知れない。しかしいくら時間が経っても、ハサミのひらめく不吉な振動も、切られる衣類の哀れな呻きも知覚されては来なかった。今日に限ってはトルソはその危険な切っ先を、衣類に対しては行使しないことに決めたようだ。私は少し安心する。
「うっ」
 安心した途端、布類が裂ける時特有のおぞましい振動が感覚される。同時にシャツが呻く。
「シャツ!」
 私は叫ぶ。
「大丈夫だ、そんなにひどくない。まだ着られる」
 ややあってシャツが答える。二体のトルソはシャツの負傷に興奮し、更に激しくもみ合い、振動をぶつけ合う。

 そして布地が切り裂かれるすさまじい振動と、トルソの穴から発する振動が同期し、ぴたりと止んだ。

 ややあって、我々のトルソは動き出し、今までにしたことがない動きを始めた。
「ああ、シャツ」
 ズボンが呟く。
「そんなにひどい傷なのか?」
 良き友ズボンにつぎが当たったことを、不謹慎ながら今ばかりは呪う。しかし良き友シャツがひどい傷を受けたかもしれないとなれば、それを知覚できないのは(知覚したところで私には何もできないにしても)縫い目がほつれるほどもどかしい。
「俺のことじゃない」
 シャツが低くいった。
 トルソはしゃがみ込み、上半身を大きく動かし始める。何かが行われているのは明確なのに、二枚は何も伝えてこない。不安が私の化繊の布地を黴のように浸食し、前開きから溢れ出す。
「何があったんだ」
 沈黙。
 沈黙。
 沈黙。
 私も黙り込む。不安ではあるが、ズボンの中の私には何をしようもない。
 その時になって、私はようやく染みが自分をじわじわと浸食しはじめていることに気づいた。タンパク質の感触。これはすぐに洗浄せねば取れない汚れである。シャツとズボンに危険を伝えようと考え、私は再び気づく。私が汚れるのならば、シャツとズボンは全体をタンパク質に汚染されているはずだ。だのに、シャツとズボンは他のことに気を取られている。取れない汚れに布地が浸食される以上に恐ろしい事とは何なのだろうか。
 ズボンがぽつりと漏らす。
「スカートも」
 トルソの腹が膨れ始める。

 シャツが、次いでズボンが脱ぎ捨てられ、私はようやく外界を知覚した。 盥の水に浸けられたシャツとズボンからは、先ほどの染料が溶けだした水が真っ赤に染まっている。シャツの胸の部分は大きく引き裂かれ、傷からは痛々しく繊維がのぞいているが、洗濯されるということはまだシャツが殺されずにすむという意味だ。私は少し安心した。
 トルソは二枚を乱暴にこすり、揉み、何度か水を換えた。二枚がきれいにならないのを知覚したらしく、トルソは穴から何度も激しい振動を発した。やがて諦めたのか、トルソは腰を下ろすと、裁縫用具と新しい布地を取り出してシャツの裂け目にあてがった。
 あてがった
 あ
 あれはスカートの布だ。
 トルソはシャツの裂け目を縫いはじめる。もう一体のトルソとは比較にならない乱雑な縫い目だ。できれば向こうのトルソに縫って欲しいものだが、どこに行ったのか、私には知覚できない。
 シャツの傷をあらかた縫ってしまうと、トルソは立ち上がり屋外に移動した。そして私を膝まで下ろすと、大量に排便した。どこで調達したのか、多くの死体を穴に入れたようだ。

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