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詩誌「三」67号掲載【メンバーによるオンライン合評会】

ーー67号では、石山絵里の作品『walk』について合評しました。

飯塚 「次から次へと~送り出す」のくだり、今年の夏はなかなかにハードで正にこんな状態だったので、思わず膝を打ちました。
それでいて、全体的に夏の光溢れる空気なので、暗かったり重くならないのも良いです。
「夏休み」とか「君」という単語から、十代~二十代前半をイメージしたので、タイトルは横文字なのも作品の雰囲気に合っていると思います。
個人的な趣味嗜好の問題だけど、扱う題材はそのままに、作者と同年代を描いても面白そうと感じました。

正村 「こうして手紙を書いて、私は生きているって確かめる。」という一文がむしろ死を感じさせているのが特に面白いと思いました。
「君の死」や「去年おとずれていたかもしれない私の死」など…生を確認することはつまり死を確認することなんだと改めて感じます。
明るい場所にいるけれどくっきりとした影もある、そんな南向きの部屋をイメージしました。
「昨日はどんな日だったっけ。~ 昨日がどん底の日でも、夜が明ければ今日の私になって歩き出す。」
のところですが、似た描写が続くので、もう少しスリムにした方が読みやすいかなと思いました。

石山 私事だけど、つい最近転職して、結構この夏は私もハードだったんだよね。
毎日やっとの思いで一日を終える、みたいな。
夏休みというと、中高生の頃の気持ちを思い出す。
毎年秋号の作品は若くて青い頃の夏に思いを馳せる作品になってしまう。
ちょっとマンネリ化してきたな、と反省もしています。
同年代バージョンも面白そう?
私そんな風に思えない…。
青い感じの憧れが強いのかな。
昨日、今日、明日とか書きすぎたな…という反省もあるね。
この作品に限らず、他の作品でもこれらのワードを多用してしまう傾向があると自覚はある。
死を感じ取ってもらえるとは想定外!
そんな受け取り方もあるんだね。
日当たりのいい部屋にいるシチュエーションだから、影についての表現もあったら面白そうだね。

加藤 次から次へとあっと言う間に過ぎ去っていってしまうのに、今日と言う日はやっとの思いで送り出すほど長くて重い、みたいな感覚はここ数年、よく感じるようになりました。
そんな日々がぴったりくるような表現で、とても共感できました。
入道雲や夏休み、新しいスニーカーと、爽やかなからりとしたイメージの作品で、甘酸っぱい失恋から前を向いていこう的な恋愛詩に私には読めました。
なんだか作品からレモンスカッシュとかラムネとかそんな味や画像が浮かんでくるような。
でもそれだけじゃなくって、将来への不安がちらっとあったり、大学生の頃を思い出させる作品だと思いました。

石山 うん。
恋愛の詩のつもりで書きました。
あまりそこだけにとどまらないよう、色んな読み方ができたらいいとも思ってる。
将来への不安は、大人になってもあるね。

飯塚 作者が学生時代とかいわゆる青春的なものに惹かれるというのは、これまでの作品を見ても傾向としてはあるのかな、とは感じます(良いとか悪いとかそういう話ではなく)。
言葉の選び方も含めて画面の色彩も豊かで魅力的。
ただ、今現在の作者の背景を聞くと、尚更そのまま書いても違った面白さがあるような気がします。
これも個人的な趣味嗜好の話かもしれないけれど。

水谷 手紙を書くという行為を書き切って、タイトルはwalkでなくてもよかったのかもと思う。
未来がきて、スニーカの紐を結び直して一歩踏み出す、というのが分かりやすいけど分かりやすすぎる気もして、オリジナルの描写でもよかったのかなあと。明るいけど暗さがある感じが最初よく出ていて、好きです。
私も「君」は亡くなった人の可能性もあるのかなと少し思いました。

石山 今回は、タイトルが思い浮かばなくて…。
最近は、タイトルが浮かばないと英単語に走る癖がついてしまった。
手紙を書いて気持ちを確かめるなんて、未練があるのに、新しいスニーカーで一歩踏み出すというのも説得力無いかな、と考えたりもしたけど、そんな気持ちを抱きながらも、人は前に進むものかな、とも思ったり。
オリジナルの描写…力量が問われるとこだね。
君に対しては、亡くなったという設定のつもりはないけど、最近有名人の自死の報道を耳にすることが増えたような気がして、そのたびに何とも言えない悲しい気持ちになって。
直接伝えはしなくても、あなたのことを大切に思ってる誰かがいる。
それが、どん底にいる人を救うこともあるんじゃないか、そんな気持ちもありつつ書きました。

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