相田みつを兄流、処世訓
これは相田みつをさんが兄に教わった教えらしいです。これを知った時、何と素晴らしい教えだろうと思いました。というのも、講師、コーチをやるにも、ビジネスやるにもこの3つは必要だから。
無抵抗な人間をいじめるな
これは言うまでもないことだから誰もしないと思うかもしれません。でも、信じられないことに、世の中にはこういうことを平気でやるのがおります。
たとえば…
人が希望をもってギターを弾こうとしているのを「センスがないからやめとけ」「それだけやってうまくいかないのはセンスがないからやめろ」などと平気で言うのがいるのです。僕はそういわれた方と出会ったことは何人もあるし、今なら、ネットで言ってたりもします。僕も見たことがあります。
こういうひどい言葉は言ってる側には何のリスクもないわけです。何でそんなことを言いたくなるのか理解が出来ませんが、なんとも卑劣であります。
実は僕も言われたことがあります。僕の場合は独立起業しようとするとやってもいない人に「大変だからやめておけ」と言われたことは何度もあります。相手からすると心配の言葉なだけにたちが悪い。如何に心配心からとはいえど人の可能性の芽をつむ権利はないのだからそんなことを言って人の足を引っ張るのは無抵抗な人間をいじめているのと同じです。
心は貴族であれ
これは現象に振り回されずに心を静かに、余裕を保ちなさい、という意味だと思います。僕は修身のことだと解釈しました。
自分を整えている、という意味で間違いないのではないかと思います。本当に余裕がある人は全ての物に感謝しているものです。
貧しても鈍するな
これは「どんなに貧しくても、卑しい根性を持つな」と相田さん自身が解釈されていましたが、同感です。
ここで言う「貧しい」というのは貧乏のことだと思います。「卑しい根性」というのは「貧しさ」であると考えると良いかもしれないと思いました。
そもそも、貧して、と言っていることから貧は現象だと分かる。貧という現象が起こって、鈍するものだとおもうのです。だから「貧すれば鈍する」ということわざがあるわけです。
でも、相田さんのお兄さんは「鈍するな」と言っているわけです。つまり、「鈍という行為をするような人間になるな」という在り方を言っているとおもうのです。
ちなみに、「鈍する」というのは「にぶる」ということです。キレがなくなるわけです。そうなるのはなぜか?心に余裕がなくなるから。自分のことしか考えられなくなり思いやりなど当然出来ない、余裕がない状態。
つまり、心が貧しくなっておるわけです。余裕がないのだから貧しいでしょう、という話です。故に「貧しい」という心の状態、その人の在り方があるからこそ鈍するわけです。
スキルは万能薬ではない
貧…つまり、貧乏という現象を体験すると普通は鈍する…つまり、心に余裕がなくなり、思いやりもなくなって、賤しくなる。だからこそ、鈍するな。心の中を貴族…貴い状態に保て。賤しくなるな、心に豊かさを見い出し、感謝せよ。そして、人に思いやりをもてる余裕を持て。現象に振り回されるな、といいたかったのではないか、と想像します。
こう考えると、コーチやるにもビジネスやるにもそのまま通用する話だと思うのです。よくマーケティングとかセールスとか勉強している人の発言にある種の万能感を感じることがあります。
スキルでもって望む現実、人生を創るのだ、そして、それはスキルを持っている自分だから出来るのだ、と考えている節を感じるし、実際、そういう発言を目にすることもよくあります。
それだけなら、その人の勝手だから良いのですが…その後にスキルを持たざるものを批判する文章が続いていたりする。そういうのを見るとちょっと敬遠したい気持ちになります。
でも、どう考えてもスキルというのは道具です。なくてはならないものには違いありませんが、自らの心を表現するための道具です。心がなく道具があってもそれは猫に小判ではないでしょうか。実際、心の中が卑しい時は卑しいようにしかならないのです。相田みつをさんのお兄さんが残した教えは根本から人を目覚めさせる言葉だと思えてなりません。
考えの肥やしになったら嬉しいです。
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