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ショー専門のバーテンダーになる直前の話

 2000年代初めに日本各地でフレアバーテンダーが生まれた。フレアの団体が発足し各地で練習会が開かれ、バーテンダーが「どんなものかな?」と練習用のボトルを投げ始めた。海外の大会にチャレンジする者が出てきたし、バーでお客さんに披露することも出てきた。

 すると、フレアを見たお客さんが自分の会社や団体のイベントでショーをしてほしいという依頼が来るようになる。私も夏に海の家でフレアをしながらドリンクを作ったり、兄弟や友達、従妹の結婚式でショーもした。

 ある時、ひょんなことから友人が受けてきたショーの仕事をやることになった。チームは3人。せっかくだからチームの名前を付けようということになり、「FM SHOCK」にした。エフエムショックだ。メンバーは名古屋のJACK、大阪のBILLY、そして私、京都のHIROだ。年齢が近く仲の良い3人で、フレアの大会で結果を残していた私たちは「FM SHOCK」のロゴをプリントした赤い長そでのシャツを作り、ショーをやった。

 何故「FM SHOCK」っていう名前になったのかって?

 それは、みんなフレアにハマっていて無職の奴らの集まりだったからだ。フレア無職、つまりF(フレア)M SHOCK(無職)。フレアの技術は一流で、個性も強かった。

 その頃、みんな一時的に無職だったのは偶然かもしれないが、フレアに関して言うと無職になるくらい練習をしないとなかなかモノにならないという点では異論の余地はない。フレアを上手くなろうとすると限りなく無職に近づいていく、なんとも皮肉なものだ。

 ショーは数日間、毎日何回ものショーをこなすハードなものだった。フレアだけでなくトークの技術もそれぞれ発揮し、先方にもとても喜んでもらった。

 無事に終わってほっとしている時にこれからどうする?という話になった。その中でJACKは店を持って店でフレアをする。BILLYは飲食業展開をしている企業に入ってそこでフレアをする。そして私はショー専門でフレアをする。3人それぞれの道でフレアの可能性を広げていこうという話になった。

 そこから20年近く経って、今でもお互いがそれぞれの世界で踏ん張っているのを見ると私もまだまだ頑張らないとなと思う今日この頃である。

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