心の避難訓練

僕の周りには亡くなった人があまりいない。
厳密に言うと、身近な人の訃報を聞いて塞ぎ込むほどのショックに襲われたことがない。
これは現段階では幸せなことかもしれないが、その幸せは決して永続しない。
生き物に死はつきものだから自分が先に死ぬ以外の方法で他人の死を回避する方法はないと思う。
出会いの数だけの別れを経験することになるのだろう。

特定の人の死を考えることは縁起でもないと忌避されることが多い。そんなことを考えてはいけない。口に出すのはもっといけない。お前は言霊というものを知らないのか。ひとは言うだろう。そんなことを考えてはいけない。

本当にそうだろうか。
地震のことを考えるのは縁起でもないから、避難訓練なんてするもんじゃないのだろうか。

備えあれば憂いなし。
なんて言葉は必ずしも信じられるものではない。
どんなに入念に備えたって避けられないことはある。けれども、備えなければもっと深い傷を負うかもしれない。

常に目の前にいる人の死を疑って過ごすなんて気分が悪いし、もちろんそんな必要もない。
ただ、もしいつも側にいる人とこの先ニ度と会えなくなったとしたら、自分はどうなってしまうのだろうか…

実際そうなった時の精神状態を脳内でいかに再現できているかはさして問題ではない。本番通りの避難訓練なんて経験者にしかできないのだから。
思いを巡らせることだけでもきっと未来の自分の盾に、鎧に、薬に、灯火になってくれるだろう。
自分にはこの先、死という未知に立ち向かう以外に道はないのだ。

大切な人を失くした人を見て、そんなことを考えていた。

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