沖縄県が考えていた”今後の市町村像”ー合併の組み合わせ?ー

今回の企画(?)的なものは、県広報に載せられていた”組み合わせ”という資料から想定される新市町村の規模を割り出して、その合併に可能性が”あったのかどうか”を少し書いていく、というものです。(以下、組み合わせに関しては県広報より引用しています。)

総観

 今回取り上げる組み合わせは、平成の大合併によって県内市町村が合併したのちに作られたものであるようで、この組み合わせで取り上げられた市町村はすべて合併に加わらなかった、というものです。別に組み合わせに無理があるとかそういうわけではないので、単純に熱が冷めただけだろうとは思います。実現していたら非常に面白い組み合わせだっただろうに。

1.北部3村合併(国頭・大宜味・東)

  人口9001人、面積340.23㎢、人口密度26.46人/㎢(町の規模)

 現在もいずれの村も5000人の人口に達していない小規模な村の集まりですが、一応町としての規模は得られそうだ、という印象です。面積は沖縄本島では最大のものとなるでしょう。もともとこの地域は終戦直後に”辺士名市”となった領域ですが、いかに市が”市”のようでなかったかがわかるような諸元ではあります(解散したが)。

 もしこの組み合わせが今後実現するとすれば、人口減少によるものでしょうか。この地域には世界自然遺産であるやんばるの森が含まれているので、その管理という意味でも行政の効率化を進めるうえで選択肢にはなりうるかもしれません。

2.名護の合併(名護・本部・今帰仁)

 人口85665人、面積305.18㎢、人口密度280人/㎢

 残念ながら北部に10万人都市を誕生させることはできませんでしたが、現在の宜野湾市に近い規模を持つことができます。ただ新市名で揉めそうですし、そもそも現行の名護市ですら名護の範囲は優に超えていますから、もはや名護じゃないという(北山市とでもなるんでしょうかね)。

 今後実現する可能性は・・・ないんじゃないですかね。というのも、本部は消滅可能性自治体ですが、名護と今帰仁は元気な自治体なので、しばらくは残るでしょう。本部と今帰仁が合併する可能性はありそうですが、あまり得があるのかは・・・よくわかりませんね。

3.金武地区の合併(金武・宜野座)

 人口17157人、面積69.14㎢、人口密度248.15人/㎢

 もともと両町村は同じ町で、戦後分離しました(宜野座は「宜野座市」として)。両町村ともに米軍基地を多く抱えており、特に金武町はキャンプハンセンがある関係で中心部はにぎわっています。

 今後実現する可能性は低いと思いますが、中城村と北中城村の合併のように、もともと一つの自治体だったものが分離し、その後合併構想が持ち上がった場所はほかにも多くあり、そのうちの一つとみなすこともできるかもしれません。

4.西海岸町村の合併(読谷・嘉手納・北谷)

 人口81482人、面積64.33㎢、人口密度1266人/㎢

 読谷村は那覇都市圏にも沖縄都市圏にも属さず、一つの都市圏を形成しており、嘉手納町は沖縄都市圏に、北谷町は那覇都市圏にそれぞれ所属しています。雇用の問題であまり一つとは言えない地域です。それぞれ米軍基地を多く抱えており、特に嘉手納は元は北谷町の一つだったのが、米軍基地の影響で分離した町です。合併後も多くの面積を米軍基地が占めることになると思われます。北谷町は観光で栄えていますが、この効果が読谷村まで波及していない状況からも、あまり一体感がある地域ではないように思えます。

 実現可能性はかなり低いと思います。

5.中部地域合併(宜野湾、北中城、中城)

 人口138128人、面積46.87㎢、人口密度2947.05人/㎢

 ともに中部地域に所属している市町村です。この地域では多くの合併構想が持ち上がり、すべて消えました。宜野湾市や中城村といった市町村は中部の多くの市町村を含んだ合併に意欲を見せており、浦添市や西原町もこの枠組みに入れようという話になっていました。しかし浦添市は応じる様子を見せず、西原町も任意協議会に入りこそすれど住民投票ですぐに出ていったという経緯があります。北中城と中城だけは法定協議会まで作って合併まであと一歩のところまで行きましたが、北中城村側が拒否して頓挫しました。この3市村の合併によって人口は13万人を超過し、うるま市を上回って県内第4位の市となります(浦添市は後述)。

 実現可能性は、まあこれも難しいと思います。ただし、この3市村の枠組みで行動することは現在もあります。特に、北中城村と中城村のつながりは強力で、2村で県に要請行動を行うなどしています。合併まではいかなくても、今後も密接な協力関係を結んでいくのではないでしょうか。

6.浦添・西原合併(浦添、西原)

 人口150898人、面積35.38㎢、人口密度4265.07人/㎢

 2つの市と町の合併ではありますが、元の浦添が大きく、合併する西原町も町としては規模が大きいので、2市町だけでこれだけの規模になります。なお、人口は沖縄市を抜いて県内2位に、人口密度は後述の那覇市合併が行われたと仮定すると県内首位となります。実際、この枠組みでは勉強会が行われたことがあるようで、あともう少しで県内最後の合併として成立にこぎつけていたであろう合併です。

 今後実現する可能性はこれまた低いです。ただし、現在も浦添市と西原町は密接なつながりがあり、2019年のてだこ浦西駅開業には那覇市、浦添市長のみならず西原町長も参加しました。合併こそせずとも、今後も密接な協力を続けていくと考えられます。

7.那覇地区・島嶼合併(那覇、南風原、与那原、渡嘉敷、座間味、粟国、渡名喜)

 人口377503人、面積103.41㎢、人口密度3650人/㎢

 いわゆる”県庁所在地が周りを合併していくやつ”です。実際に、ここから与那原を除いた枠組みは検討されていました。ただし、与那原町は東方市として法定協議会に所属しており、南風原町も現:八重瀬町などとの合併協議がありましたので、那覇以外の2町が乗り気だったかどうかはよくわかりません。逆に島嶼部もどう思ってたんだろ。かなり無理があるんじゃないかなと思います。

 実現可能性はありません。

8.八重山地区合併(石垣、竹富)

 人口52218人、面積563.54㎢、人口密度92.67人/㎢

 この枠組みは実際何回も検討されています。これに与那国を加えた「八重山市」構想は実際成立寸前まで行きました。竹富町は役場が石垣市にありますので、この構想自体は困難なものとは言えないと思います。

 ただし、この後石垣市と竹富町の関係性は一変しています。教科書の採択問題では、八重山一括の採択を行うはずが、竹富町のみ別の教科書を採択しました。この問題は沖縄県や文部科学省まで巻き込んだ大騒動となってしまいました。現在もこれが尾を引いているのか、竹富町は別採択になっているようです。このことから、実現可能性は限りなく低いと思います。

概括

 いずれも、一見すれば実現可能性がありそうでした。特に北部は今後の財政を考えると、もう一度この構想が持ち上がっても不思議ではなさそうです。一方、中南部に関しては、その規模を考慮するとどの自治体も必要がないような状態ではあり、今後もこのような合併が行われる可能性は少ないのではないかと感じました。


なんという中身のない記事なんd(

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