沖縄の市町村の経緯を考察するー町と村の区別とはー

今回書いていくのは、”沖縄の市町村の経緯に関する考察”です。といってもそんなに大きなレベルのことではないのですけどね(いつものこと。沖縄の市町村では、村が町の規模を上回っているというのはザラに存在するわけですが、なぜそんなことが発生したのか、沖縄の歴史から個人的な考察をしてみたいと思ったのです。※この考察は沖縄本島内に限ります。宮古八重山の実情は筆者はあまり存じ上げていないので、違う傾向があるかもしれません

沖縄の市町村のおこり

 沖縄というのは、もともと日本ではないですし、琉球処分後も速やかに市町村制を敷かれたのではないので、少し複雑です。県区制や島嶼町村制という制度を経て、本土のようなシステムが敷かれていきました。

 戦前期は、沖縄の市町村の中でも市になっていたのは、県区制の流れを引き継いだ那覇と首里(当時は別自治体)だけでした。現在11ある市のうち10は、いずれも町や村といった制度が敷かれていました。さらに特筆すべき点は、当時の町の少なさです。戦前期に町制施行となったのは、糸満町(のちの糸満市)や名護町(のちの名護市の一部)などの一部地域だけでした。浦添や宜野湾を含めた地域は、間切がそのまま村に移行する形で、村をやっていたわけです。

米統治初期の市町村制

 米統治下になると、沖縄の市町村は少し複雑となります。市や町、村という区別が現在のようになされておらず、今の考え方で区別することができないからです。個人的な考察として、以下の規則性を考えました。

 収容所が設置された地域→市 (例:辺士名、宜野座、石川など)

 逆にそれ以外は村、というシンプルな形です。町を名乗っている地域は町を名乗り続けたと考えています。沖縄戦が終わり、特に中南部では多くの地域が焼け野原になってしまいました。それだけではなく、終戦直後、県民を収容所に収容した米軍は、県民がいなくなった集落に基地を建設していきます。この、基地と収容所という施設が沖縄で一大施設(言い換えれば都市)となったこと、さらに米が日本の市町村制を十分に理解していなかったとも考えられますので、こうしたことが重なって、このようなシンプルイズベストのような形がとられたのではないかと考えます。唯一、町が新設された事例としては与那原町があります。与那原町は、旧大里村から海岸部が分離独立したもので、与那原町は、確認できる限り沖縄本島に米統治下時代に設立され、かつ現在も残っている唯一の町となります。当時残っていた町としても、糸満町や名護町が市制を施行したため、与那原町が唯一のものとなります。

 なお、辺士名市や宜野座市(金武町より分離)といった臨時市は、戦後の混乱が収拾され次第順次解散しました。辺士名市は国頭、東、大宜味の三村に戻り、宜野座市(そもそも収容所名だった?)は宜野座村へと戻っていきました。唯一、石川市はその名を留めることになります。

米軍統治末期

 初期と大いに異なる点は、米軍統治末期には”沖縄人の経済”が確立するようになった点です。言い換えれば、沖縄の人々が自力で都市を立て、そこで生活を立てるようになったということです。このころには復帰運動が起こるほどに沖縄人の自治意識は高まっていたと推測されます(それが米軍にとってよかったかどうかは置いておいて)。このことがあって、沖縄の各都市が明確に市の規模を確立するようになってから、村から市へ移行する自治体が続出するようになりました。宜野湾や浦添といった中部の名だたる市はその一環で市制を施行した市です。村から市へ移行した、ということからもわかる通り、米統治下時代では町はあまり重要視されていたという印象はありません。大きな都市を市(City)として、それ以外を村(Villege)としていたとすれば、こうした流れも自然なものと考えられると思います。

復帰して

 復帰し、日本の制度が適用されるようになった沖縄県。復帰後、各村がこぞって町へと移行するようになります。現在沖縄本島に残っている町のうち大半は、この時期に町へと移行していきました。この時期にまだ市>町>村の構図が残っていたとすれば、村には見合わないような大きな村が乱立していた状況の中で、我先にと町へ昇格していったことは理解できます。少なくとも、日本の市町村制が明確に施行されるようになって、町というものの存在がパッと出てくるようになると、多くの村が移行を望んでいったのではないか、と推測しています。

 村にとって町という制度は魅力的なものであった、と考えられますが、そうした村が自動的に町へ移行することがなかったことから、米統治下時代の自治体制度が日本復帰後にそのまま追認されたことがうかがえます。このなかで特筆すべきなのは石川市で、復帰時にはすでに市制施行の基準を満たしていなかったにもかかわらず、政府は石川市を追認しました。収容所の設置という特殊な形で設置された石川市は、2005年にうるま市として合併するまで長い時代残りました。

いま

 地方分権、構造改革ということが叫ばれ、平成の大合併が起こり、沖縄の市町村も少なからず影響を受けました。沖縄の市町村は比較的合併しなかった方で、頓挫した合併構想も多くあります。こうした中では、村から町へ移行するメリットは、どうせ中身を薄くしていくような今の状況ではなくなっているのでしょう。代わって今は、”村”というだけで注目を浴びたり、観光の対象になったりと、”村”であることにメリットがあるという状況さえ生まれるようになりました。中南部には今も、読谷、北中城、中城という3つの村が残っており、全国規模で人口や人口密度はトップクラスの村になっています。こうした村が町へ移行しない理由は、そのメリットが薄れてしまったから、という答えになるのではないかな、と思います。一方で、村から市への移行は21世紀にも起こっていて、豊見城市は日本の憲政史上初めて村から市へ移行した事例になりました。浦添や宜野湾は米統治下時代のため、沖縄では初めてではないが、日本では史上初という奇妙なことが起こったのです。

今後、町制施行や市制施行は起こりうるか

 ざっくり言うとないと考えています。市制施行をしうる上位3町村である南風原、読谷、西原。南風原は独自の子育て政策で一気に人口を伸ばした一方、待機児童問題が深刻化してしまい、今後伸びるかどうかは微妙なところです。読谷は人口増加ですが、5万人に届く見通しはなし。西原に至っては減少していますので、望み薄といったところでしょう。町制施行に関しても、もちろん読谷、中城、北中城といった村はいつでも町制施行可能ですが、先述した通りそれは望み薄と考えます。

 ほかの可能性があるとすれば、合併でしょうか。特に中南部は(面積が)小規模自治体が多いので、合併してもはるかに全国規模を下回る(面積が)規模となります。市制施行という意味では、簡単に達成できるのは南部4町(南風原、与那原、八重瀬、西原)で、どの組み合わせでも2町合併で達成可能です。逆に中部の町村部は読谷村を除けば3町村以上が合併しないと不可で、特に北中城や中城に関しては西原を巻き込まない限り市制施行要件は満たしません(逆に西原と中城だけの枠組みでは達成可能)。ただ、そこまでしてやるかどうかといわれると難しい気がしています。西原+与那原など超コンパクト合併でもかなり紆余曲折がありそうです。ここまでの時代一つの市町村としてやり遂げてきたわけですから、各々の市町村には少なくとも70年近い歴史がありますし、間切時代まで含めちゃうと500年以上の歴史を持っている自治体すら存在するわけです。そんな簡単に合併しないのではないかな、という(個人的な肌感覚ではありますが)考えを持っています。(事実、西原町は住民投票で”どの組み合わせでも合併しない”が多数を占めました。西原町のこのスタンスは、ある種那覇と沖縄市の間にある自治体の合併可能性を事実上消滅させてしまったものといえると思います(浦添も乗り気ではなかったとはいえ))。

余談

大した余談じゃありませんが、市町村合併で市制を目指すという話から思いついたこと。実は中城と北中城は合併予定であって、法定協議会まで設置していた時期があったのですが、当時の北中城村長(現在衆議院沖縄2区から出馬予定の新垣さん)が、村民の意見を踏まえストップさせました。実は新市名すら決まっていまして、”中城市”となる予定でした。ただ、これは当時の合併特例法にあった3万人特例(合併すれば人口3万人で市になれる)を利用したもので、廃止された現在は、合併しても”中頭郡中城町”にしかなれません。もっとも現在の中城村単独でもなれますので、そういう意味ではやる意味は全くない気がしますが。

 逆にもし当時今の人口があったら市になれていただろうというのが八重瀬町で、最近3万人を超えました。元は具志頭村と東風平町の両町は、南風原町や旧大里村との合併構想が破棄され、残った2町村だけで合併しました。もしこのときの人口が今の人口であれば、八重瀬町ではなく八重瀬市になっていたでしょう。ちょっと惜しい気がします。

 沖縄で3万人特例を利用した市制施行を伴う合併は南城市だけで、与那原町が離脱した東方市構想の構成町村と、南風原町や現:八重瀬町との合併構想がなくなった旧大里村で合併しました。この差は結構大きくて、東方市の中心地域は与那原町になる予定でしたが、与那原町が離脱して、旧大里村が加入したことで中心地域は大里村?佐敷町?あまり断定できるような感じではないです。3万人特例を利用した南城市ですが、現在の人口は4万人を超えており、南風原町を抜き去りました。今後、南城市は大型開発が行われる可能性が残されておりまして、もしかすると5万人という本来の基準も突破してくれるかもしれません。

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