『現代哲学の論点』を読むためのメモ(第六章 エコロジーはなぜ哲学の問題になるのか)

p.168
人新世(Anthropocene) … 地球圏・生物圏国際協同研究計画(IGBP)の2002年のニューズレターで、オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したオランダの大気化学者パウル・クルツェンが、“地質学上の年代”を指す言葉として使った
p.172
ユクスキュル『動物の環境と内的世界』(1909, 21) … 各生物にはそれぞれの「環世界 Umwelt」があることを指摘している
ハイデガー『存在と時間』(1927) … 「環世界」の議論の影響を受け、人間が自らの「世界」とどう関わっているかに関する考察を行なっている
p.173
仲正昌樹『ハイデガー哲学入門』(講談社現代新書) … ハイデガーは、近代哲学の前提にある「主体/客体」の二項関係を、両者が組み込まれている「世界」という観点から組み替えていくことを試みた──こうしたハイデガー哲学の特徴について要参照
p.174
仲正昌樹『後期ハイデガー入門講義』(作品社) … 自らの存在の母胎である「自然」から離脱した人間が、「自然」を加工可能な素材の総体としてしか捉えなくなく(ママ)なり、自らが何者なのか分からなくなって、方向性を見失っていることを示唆している──要参照
ホルクハイマー、アドルノ『啓蒙の弁証法』(1947) … 科学技術によって自然を支配し、資源として利用することを至上命題とする近代文明の中に生き、飽くことなく合理性を追究する資本主義の生産─再生産過程に組み込まれた人間の自己疎外という形で、この問題を論じている
p.175
アーレント『人間の条件』 … 「プロローグ」で、ソ連によるスプートニク打ち上げ(1957)の哲学的意義について語っている
p.176
仲正昌樹『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』 … 要参照
ハンナ・アーレント「宇宙空間の征服と人間の身の丈」(1963) … 「外」から地球を観察できるようになったことが、哲学を始めとする人文科学にとってどういう意味を持つか、ある程度掘り下げて論じられている
エルヴィン・シュレディンガー … 自分たちが理論によって探究する領域が、「実際に接近不可能」であるだけでなく、「思考可能」でさえないと述べている
ニールス・ボーア … 因果性、決定論、法則の必然性などは、人が必然的に囚われる先入観に由来する概念にすぎない、と指摘している
p.177
レイチェル・カーソン『沈黙の春』(1962) … DDTなどの殺虫剤によって自然の生態系が予想以上に破壊されており、衛生環境の改善のための措置によって人間が自分の首を絞めていることが露わになったことで、アメリカなどの先進国が公害問題に本格的に取り組み、環境運動がメジャーな社会運動になるきっかけになった
p.178
リン・ホワイト「私たちの生態学的危機の歴史的起源」(1967) … あらゆる生物は自らの周囲の状況を変化させるが、人間が環境に及ぼす影響は圧倒的であると述べている
p.179
ジョン・パスモア『自然に対する人間の責任』(1974) … 自然支配という考えはユダヤ教よりもむしろ、植物は動物のために、動物は人間のために作られたとする、アリストテレスの目的論に代表される、ギリシアの啓蒙主義に由来するとの見方を示している
p.180
テイヤール・ド・シャルダン … 人間は自然の完成に協力すべきだとする
ヴァル・ルートリー、リチャード・ルートリー「人間ショーヴィニズムと環境倫理」 … パスモアが代表する西欧の倫理は、いかなる正当化理由を示すこともなく、人間であるかどうかを不平等な扱いの線引きにしており、それはナショナリズムや人種差別、女性差別と変わりないと主張する
p.181
アルネ・ネス「シャロー・エコロジーとディープ・エコロジー」(1973) … 先進国の人々の健康と豊かさのために公害や資源枯渇と闘うシャロー・エコロジーに対して、環境を「関係的・全体的な場」として捉え、そこに属する全ての生命形態の原則的な平等を主張するディープ・エコロジーを提唱する
p.182
アルネ・ネス『エコロジー・共同体・ライフスタイル』(1976、邦訳『ディープ・エコロジーとは何か』) … 人間はすでに自らの生存にとって必要性を超えて、人間以外の世界に干渉しており、この状況を改善するためには、人間の人口をかなり減少させ、生活の質を考えることが必要だとしている
キャリコット『地球の洞察』 … 絶対的な時空間を想定するニュートン力学をモデルとし、自然を巨大な機械装置のように捉える近代科学の世界観に代えて、人間は単独で存在するのではなく、生態系の一部であると述べる
p.184
クライヴ・ハミルトン、クリストフ・ボヌイユ、フランソワ・ジュメンヌ編『人新世とグローバルな環境危機』(2015) [原書のみ] … 編者たちによる序論「人新世を考える」では、「自然/文化」の区分をめぐる問題が提起されている
クライヴ・ハミルトン「人新世における人類の運命」(『人新世とグローバルな環境危機』所収) … 人間の影響を排除して対象を分析しようとしてきた地質学者のやり方が行き詰まってるのと同様に、市場や政治システムの動向が地球環境に影響を与え、それが人間の活動に跳ね返ってくる以上、社会学者たちは地球物理学者にならざるを得なくなっていると指摘する
p.185
ディペッシュ・チャクラバルティ「人新世と諸歴史の収斂」(『人新世とグローバルな環境危機』所収) … これまでそれぞれ違う次元のものと考えられてきて、タイムスケールも全く異なる「地球システムの歴史」「惑星上での人類の進化の歴史を含む生命の歴史」「産業文明の最近の歴史」の三つを架橋することの困難を指摘している
ディペッシュ・チャクラバルティ「歴史の気候」(2009) … 現代の歴史学は資本主義によるグローバル化の歴史を論じる場合でも、「人類」という単一の主体を想定することを拒否し、実際には様々な文化的背景を持った行為主体たちの活動によって世界史が構成されると主張する傾向があったが、「人新世」は、「人類」という生物学的、あるいは地質学的な主体を想定することを余儀なくしている、と指摘している
p.186
ボヌイユ、ジャン=バティスト・フレソズ『人新世という出来事』(2016、邦訳『人新世とは何か』) … 権力政治的な側面を強調する
p.187-188
ティモシー・モートン『自然なきエコロジー』(2007) … 「自然」を実体視する環境運動、特に、人間の影響を排除した純粋な“自然”を守ろうとするディープ・エコロジーに対して批判的な距離を取っている
p.189
メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(1818) … 人間自身によって毒された“自然”、半ば人工物になってしまった“自然”にどう向き合うかという問題を、ロマン主義の時代に突きつけた作品として、モートンが挙げている
ティモシー・モートン『シェリーと味覚(趣味)における革命』(1994) [原書のみ] … メアリーの夫のパーシー・ビュッシュ・シェリーとその周囲の人たちのヴェジタリアン・ダイエットの実践と言説という面から、ロマン主義の時代における「人間的なもの」と「自然的なもの」との関係を考察している
映画『ブレードランナー』(1982) … 遺伝子工学によって人間そっくりに作られたが、人間とは異なる心身の構造を持つレプリカントは、人間に仕えることによってのみ存在を許されている
p.190
ティモシー・モートン『ダーク・エコロジー』(2016) [原書のみ] … 私たちは常に周囲の多くの存在者と相互依存関係にあり、存在し続けるためには何らかの他の存在者を犠牲にしなければならないが、「共存」という時には、犠牲にされる存在者が視界から外される
p.192-193
フロイト「不気味なもの」(1919) … 「不気味なもの das Unheimliche」を、もともと馴染みがある(heimlich)はずなのに、長い間無意識の中に隠されていたものが、何かのきっかけで意識の表面に浮上してきた時に生じる両義的な感情、と定義した
ティモシー・モートン『ハイパーオブジェクト』(2013) [原書のみ] … 人間の歴史と地球の地質学が一致してしまう「人新世」というホラーのような事態に際して、これまで人の世界に限定されてきた哲学の限界を超えるには、「思弁的実在論」、特にグレアム・ハーマンが開拓した「対象志向(ママ)存在論」が有用であると主張している
p.193
仲正昌樹『現代哲学の最前線』第五章 … 要参照
p.194
映画『マトリックス』 … 鏡を覗き込んだ主人公ネオが、鏡が融けて自分の身体にまといつき始め、自分の身体を含むリアリティが、マトリックス(というバイパーオブジェクト)としての本当の姿を見せ始めた時に感じる不気味さ
p.196
スティーブン・シャヴィロ『モノたちの宇宙』(2014) … 著作のタイトルの由来になった、グウィネス・ジョーンズの短編小説「モノたちの宇宙 The Universe of Things」(1993) [原書のみ] を、実在する「対象」の、人間に対する働きかけを描いた作品として高く評価している


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