『現代思想入門』を読むためのメモ(第六章 現代思想のつくり方)

p.178
カント『純粋理性批判』 … 人間がものを認識し思考するときの前提として、人間の精神にはあるシステム、いわばOSがあり、それによって情報処理しているのだというようなことを論じた
p.182
レヴィナス『全体性と無限』(1961) … 哲学史は他者の問題を排除してきた、だから他者の方へ向かう哲学を考えなければならない、という立場。最大の仮想敵は、ハイデガーの存在論
p.184
デリダ「暴力と形而上学」(『エクリチュールと差異』所収) … レヴィナス論。純粋に絶対的な他者性というものはありえず、他者性は、同一性へと回収されていく運動との緊張関係においてしか問えないのだ、という脱構築的介入を行う
レヴィナス『存在するとは別の仕方で あるいは存在することの彼方へ』(1974) … 存在という超抽象的な全体の地平から、なお外れるような他者を考えたとき、その他者はいったいどのように「ある」のかが問われている。それはもはや「ある」とは言えない。なぜなら、「ある」と言ってしまったら、ただちに存在論に引き戻されることになるから。そこで、言葉に無理をさせる必要が出てくる
p.189
カトリーヌ・マラブー『わたしたちの脳をどうするか──ニューロサイエンスとグローバル資本主義』(2004) … 「すべては仮固定的に形態を持ちながらも差異化し変化していく」というような差異概念、「可塑性」を提出する。千葉はパリ第十大学に留学しマラブーに師事した
p.191
メイヤスー『有限性の後で』(2006) … 絶対的な実在は絶対的であるからこそ偶然的であり、ならば、そのままのあり方で存在し続ける必然性はない。端的な実在は、ただの偶然で、いつでもまったく別のものに変化するかもしれない、という帰結に至る
千葉雅也『動きすぎてはいけない』 … ドゥルーズに関しては、すべては差異であり、その差異がリゾーム的につながっているということが広く言われたが、それに対し、より差異を徹底的に考えるならば「切断」や「無関係」が問題になる、という立論

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