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邪道なお笑いファン

お笑いファンにおいて、顔ファンやキャーキャーファンを邪道と言うのなら、自分も邪道だ。

だいぶ前の話になるが、テレビを見て、とてつもなく恥ずかしい思いをした。

7月27日の10:00~フジテレビで放送された「華大さんと千鳥くん」を見た。その回はMCゲストに平成ノブシコブシの徳井を呼んで「華大千鳥が大好きだ!」という特別企画をやっていた。内容としては、徳井がこれまでの放送でレギュラーメンバー4人の良かったところをまとめ、ピックアップしてVTRで振り返り、褒めに褒めまくるというもの。


芸人が普段の番組内での働きを放送内でわざわざ褒められることは、なかなかないから、「やめてくれ」「トリックをばらすな」と言いながらも照れまくる博多華丸・大吉と千鳥の4人は、可愛らしくて、面白かった。こうやって笑いが作られてるんだなと謎に勉強にもなった。
徳井のプレゼンに尽く共感して、賛同して、画面の前で「そうそうそう」と言いながら、だんだん恥ずかしくなった。

芸人は、面白いと思ってなんぼだ。

ネタでも番組内の発言でも大喜利でも、笑って、「この人面白いなぁ」で成立する。それ以上でも以下でもない。
突き詰めていえば、その芸人が、何歳で、どの後輩先輩と仲良くて、何きっかけで目指して、どんな生い立ちで、どんな家族構成で、どういう経緯で芸人になって、何をきっかけに売れたか、なんて、彼らが作ったボケひとつに笑うことに、何の関係もなくて、
じゃあ、そのボケをいつからやってて、普段どうやって考えて、コンビの誰が考えてて、どうやってネタ合わせして、何年前に修正が加わってどう進化して、本人がどのくらい気に入ってるか、なんてのも、知ってることが笑いに繋がってるわけじゃない。

それでも、自分は応援する芸人のある程度の情報を知ろうとする。

完全な蛇足である。

例えば、同番組内では、千鳥の連携プレーや博多華丸・大吉の仲の良さが紹介された。本来、徳井のようなテレビウォッチャーや自分のようなお笑いファンではない視聴者は、千鳥の発言の軽快さや体をはらされて疲れる博多華丸・大吉を面白く思い、テレビの前で純粋に笑えるだろう。
そこを余計な目で見てしまうのが、お笑い好きの性である。

千鳥の連携プレーの後ろには、これまで尖りすぎててライブでも1人1言しか発しなかったような2人が、段々大悟が注目されるようになって、テレビなどでもエピソードトークを拾われるようになってくると、今度はノブがやさぐれて大悟のサポートに入ろうとするなどなくムスッと横で座って収録を終えたり、そんな時代もあった。いつしかノブのツッコミが評価されて、流行語にまでなり、千鳥が台頭してきた時には、ツッコミの面白いノブとエピソードとキャラの強い大悟で並んで笑っていた。
直属の先輩であり大阪時代から長年の戦友である笑い飯が磨き鍛え上げてくれたMC力と大喜利のセンスは、今も千鳥の基盤となって、多くの番組に出演し、番組内での一言一言が笑いに変わる、そんなコンビになった。
2人は高校の同級生で、お笑いツートップだったが、文化祭で司会をした時に大滑りしたことをきっかけに、大悟は「ノブしかいない」と決め、卒業後大手企業就職までしたノブをどうにかお笑いに誘い込んで横に立たせ続けて、今がある。大阪での活躍と賞レースでの漫才を評価され上京してきたが、思うように行かず上京失敗とまで言われたのが、まるで嘘かのように、どのチャンネルをつけてもいる、番組表に名前が並ぶ、なんなら、冠of冠番組と言っていいほどの、「華大さんと千鳥くん」なんていう、名前だけで勝負するような番組をレギュラー化させている。

M-1グランプリエントリー写真

そんな中での連携プレーは、2人にしかわからない絆と間合いと合図でなされたもので、千鳥を面白くする大きな要素のひとつである。大悟がコメントする前に、笑いに抑揚が出るように振りをサラッと作るノブの細さや、ノブの振りにすぐに気づき、ノブのツッコミを想定した上でボケる大悟の頭の回転ぶりは、番組内のほんの1、2ラリーの会話でも千鳥にしかできない大技だ。そんな背景とステータスを踏まえて、もう一度見ると華麗すぎて感心せざるを得ない。

博多華丸・大吉の仲の良さにだって、ちゃんとした歴史がある。
まだ漫才どころかお笑い文化の定着していない福岡に吉本が手をつけようとしていた頃、ぬるりと現れた若手漫才師2人はその後立役者となっていく。ただの福岡大学の同期が九州を背負う漫才師になるのは、けして2,3歩のステップではなく、長い道のりだった。
吉本に入る前には他の事務所の誘いもあったが、福岡吉本1期生として九州のお笑い勃興を目指したものの、同期の中でトップとは行かず、後に事務所を移ったカンニング竹山にその座をとられていたため、その劣等感の中で2人でネタを磨いた。当初はギャグやインパクトのある華丸が吉本の売り株となり、目に見えるコンビ格差があった。そんな中でも大吉はグレることなく細かいMC業を詰んで、2人並んで仕事が出来ることをコツコツとめざした。段々と彼らの笑いが九州に広がって、その人気の噂は関東にまで届き、次第に東京のテレビにも出演が増えて行く中で、M-1グランプリが始まった。若手が売れる道へのチケットを掴むため全国から集まって戦ったが、この時点で博多華丸・大吉は既に大会応募規定の結成10年を超えていて、改名して参加していた予選は途中で失格となった。九州のお笑い博多のお笑いを盛り上げるにはどうすればいいのか、もっと売れるには何をすればいいのか、そんな日々がつづく。なんども東京進出を考えてはやめ、話し合ってはやめていたが、ついに決心して上京。
全ては愛する地元のために、愛する地元を離れた。
ここまでの長い道のりをいざ評価されるのかと思いきや、逆にそれが彼らの足枷となった。どんどん若手が増え、賞レースでも後輩が優勝きっぷをつかんでは売れていく。新たな番組も新鮮さを求められ、長い経歴と培ってきた実力は見向きもされず、不当すぎる扱いだった。もがくのも疲れてしまいそうなくらいの芸歴で、地元に帰ればスターなのだから、東京を諦め帰ったってよかったが、彼らは必死にもがいた。コンビ格差などなんのその、2人手を繋いでの大冒険に見えた。彼らに「若手に負けない」という覇気を見たこともないければ、肩を並べて体を張って必死に縋り付く様子をみたこともない。
結局磨いていたのは、2人で作って2人で成し遂げる漫才だったのだろう。それがTHE MANZAIではきちんと評価されたのだった。この冒険での充分すぎる故郷への土産だった。その2年後にはM-1グランプリの審査員席に地方ローカルのMCが名札を置く。どんな時でも離さなかった相方との手を繋いで2人で帰ることができる。
以前、「未だに東京に旅行に来てる感覚だ」と2人は語った。上京してから15年以上経つ今もアウェイな土地で、2人が頑張れるのは、背中には、帰れば美味しいご飯と暖かい歓迎で待っていてくれるそんな愛する故郷といつだって一緒に前を向いて歩んできた相方が、自分の隣にいるからであろう。

吉本興業宣材写真


そんな屈強で培った実力のある苦労人たちが今になって自身の冠番組で体を張って、そのお互いを労る姿は、日本全国を笑わせる。今やるから面白い。この4人だから面白い。

そんな色のつきまくったメガネをかけながら、見てしまう。
お笑いとは関係の無いところで、彼らに惹かれてしまっている。彼らを魅てしまう。

こんなの「邪道」というしかない。

芸人は面白い。
面白いことを言うから、面白いことをするから。
だから笑う。
芸人は面白い。
たとえ自分が傷ついてでも、人を笑顔にさせるのに必死になるから。
どんな見た目だろうと、どんな人気があろうと、どんな過去があろうと、どんな人間であろうと、ひたすら目の前の笑いを作るのに必死な彼らを、そんな彼らの人生を、滑稽だとは思えない。
笑えない。

だから自分を邪道なファンだと思う。
芸人は笑わせるための顔以外の顔を見せるのを嫌う人が多い。あんなに影で努力してるのに、それを見せたがらない。
そんな芸人自身が隠している部分を見て知って、あれやこれや言って、彼らの思いを考察して、時に本人より歓喜したり涙を流したりしてしまう。
でも許して欲しい。迷惑はかけないから。
芸人という職につく人たちを真っ直ぐに尊敬する気持ちは本物だから。
そんなにまで努力して悩んで挫折したりこっちを笑わせたいなら、笑ってあげるから。
いや、どうせ笑わされちゃうんだから。
今日も邪道なファンとして、笑ったり、泣いたり、笑ったり、忙しく過ごす。

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