タクシー

撮影の帰り、時間に間に合わずなけなしの金でタクシーに乗った。およそ70代の運転手は気さくに話しかけてくれた。最近自分を変えようと思っていたから積極的に返答した。しかしここで自分の中から出てきたのはあろうことか対話不安だった。ちゃんと話せているのかな。そんな自分に絶望しかけたが撮影の疲労感で絶望する余裕もなかった。目的地に着いたが、およそ70代の運転手さんはクレジット支払いに使うタブレットをうまく使いこなせない。もたもたする。5分経ち、結局支払いできず、そこから車庫に戻って上のものに対応してもらった。およそ20分のロス。ここで、なぜ俺が、今、バスの中でiPhoneのメモにこんなことを長々書いているかというと、俺はそのとき怒らなかった。心の中では怒っていたけど我慢したわけではない。むしろ4月の日向をカーテンの横で浴びながら吉本新喜劇を見ているような気持ちだった。今まで苦く苦しみ忌み嫌っていた俺の中の対話不安は優しさだったのだ。いやそんな断言はできない。でも、少なくともあのとき俺は世界の誰よりも優しかった。俺から俺へ今のうちに言っておきたい。おいお前、優しいな。

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