僕が動画を投稿する理由

単刀直入に言うと、
ありのままの自分を受け入れられたい。
その一心で、僕は動画を投稿してきました。

では、なぜその考えにいたったのか、
少しお話しさせてください。

今の自分の歴史は、中学校から始まります。
小さな村のような小学校を卒業し、中学校へ入学しました。
部活が始まり、たくさんの小学校から生徒が集まる中学校。社会が始まりました。

そして、そこで初めて知りました。
どうやら自分は、他の人と違う。

自分だけなぜか、こんなにも人のことが怖い。
自分だけなぜか、明るく元気にできない。
自分だけなぜか、いろんな人と仲良く上手に話せない。

小学校の時に、仲良かった友達は、うまく中学生になっていく中、僕はとにかく怖かった。
部活、先輩、クラスの女子、クラスのコミュニティー、嫌われるのがとてつもなく怖かった。

学校が、とにかく怖かったのです。

(もちろん誰でも、嫌われるのは怖い、ということは分かっています。ただ僕は病的でした。
いや、もしかしたら、みんなも同じくらい怖かったのかもしれない。それはわからない。
ただ、僕の中に、異常な恐怖があったことは、間違いありません。それは本当に異常でした。)

そんな自分を、否定しました。
自分はダメだ。うまく話さないと嫌われる。
人気者のあいつみたいに、明るく元気に、そして自信があって堂々と、そんな人間じゃないとだめだ。

中学校と言う社会への、病的な恐怖の中で、なれるはずもない誰かにならないと、と必死に自分を偽りました。

その時の笑顔は、本当に、ぎこちなかったと思います。

そんな自分が行き着いたところは、いじられキャラ。
本当はめちゃくちゃ怖くて、めちゃくちゃ傷ついていたけど、ぎこちない笑顔を作って、道化を演じる。
そんなグロテスクな日々でした。

(ただ勘違いしてほしくないのは、別にいじめられていたということはないし、なんなら、今思えば、自分の周りは、いい人ばかりだったと思います。
ただ単に、学校という場所が海で、自分が淡水魚だったということです。)

高校生になる頃にはもう、おどけることすらできない状態になっていました。

とてつもなく怖かった。
人が怖かった。
嫌われるのが怖かった。
悪口言われるのが怖かった。

これからもずっと、この恐怖の中で、誰にも受け入れられず、地獄の中で、地獄のまま死んでいくのか。

何かが変わるかもと、少しの希望を持って入った大学でも、何も変わりはしませんでした。

そんな大学1年生。
午後8時まで、みっちり授業があった、ハズレの水曜日。

うまく寝付けない夜に、なぜその日ラジオを聞こうと思ったのか、今では思い出せませんが、人生で初めてラジオをつけました。
そこで流れていたのが、山里亮太の不毛な議論でした。

僕は、衝撃を受けました。

今まで、僕が全否定していた、自分の弱さを受け入れ、それを武器に笑いを取る人、そして、それが受け入れられる世界があったのです。

そのとき、僕は救われました。

自分のような人間が、受け入れられる場所があるんだ。
そして、こんなにもかっこいいんだ。

もしかしたら、自分もここなら、受け入れてもらえるかもしれない。
もっと生々しく言うと、ここなら勝てるかもしれない。そう思いました。

これが、僕が、動画投稿を始めるきっかけとなりました。
そこから、ありのままの自分を受け入れられたい、その一心で、動画投稿を続けてきました。

そして今、動画を見てくださっている方、いいねを押していただいている方、そしてフォローまでしていただいている方、本当に感謝しています。

今、僕がやっている事は、自分が良いと思えること、面白いと思えることを表現して、みんなにいいと思うよ、と言ってもらう、そのためにやっています。それが全てです。(もちろんお金も欲しいですが)

もちろん、焦ったり数字を見て、自分がいいと思えない動画を出す時もあったし、これからもあると思います。でも、それじゃあ、あの頃と同じです。何の意味もないんですと、未来の自分への戒めも込めて、ここに書いておきたいと思います。

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