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すり減った靴底

「今日も一日がんばったぁ」
時間に追われる日々の中で今日一日の仕事が終わった。帰宅して食事やお風呂なども済ませ、もう寝ようと廊下を歩いている時だった。
カナは、玄関にある夫の靴が目に入った。電球のポツンとした光が茶色の革靴にスポットライトが当たっているかのように見えた。
靴の表面はシワだらけ、靴底はかなりすり減って薄くなっている。
営業職ゆえ、足元はビシッと決めようと32,000円もした革靴を買った。奮発しすぎだと思った。
でもこの一年半、手入れをしながら毎日のように履いて仕事をがんばってきたのがよく分かる。1日に何キロ歩いているのだろう。
カナは、夫に労いの言葉をかけたくてもプライドが邪魔をして、思うように言えなかった。そんな自分に嫌気がさして言葉では言えなくても、このくたびれた革靴を一生懸命磨こうと思い、夫への感謝を伝えようとした。


今年の春からカナは、総合職の役職に就いた。周りは男ばかりの職場。一般職から総合職への転身。
「女に何ができる」という風潮がまだこの会社にはあった。そんなものを払拭させたいと躍起になって打ち込んだ。毎日が針のむしろのように居心地が悪かった。
自分のやりたかった仕事だから手は抜かない。男には負けたくない。でも、心は疲れきっていた。


夫の靴を磨きはじめたら、なんとなく自分とこの靴が似ているなと感じた。
上質な革はプライド。
たくさん歩いてシワが入ったのは周囲の目を気にする自分。
すり減った靴底は疲れきった心。

夫のくたびれた靴がだんだんと自分自身に見えてきた。カナは、夢中になって靴を磨いている。
『負けるな!負けるな!負けるな!』
『がんばれ!がんばれ!がんばれ!』と
夫に感謝の気持ちを伝えようとして靴を磨きはじめたのだが、靴と自分自身が重なり、弱気になっている自分に向けて靴を磨いている。自分に向けて励ましの言葉を投げかけている。

なんだか気持ちがスッキリした。

翌朝、先に夫が出かけるのを玄関で見送る。
「靴、磨いてくれたんだね、ありがとう」
気分良く夫は家を出た。


カナは、夫の靴を磨いた同じようなことを今の職場でやってみることにした。
すると、職場の雰囲気がカナにとって優しく感じるようになっていった。
自分自身で職場の居心地の悪さを良い方向へ変えていけている。人のためにやっていることは、実は自分のためなのだ。

誰かのために何かをする。自分のためにも何かをする。
心が疲れた時は、誰かのために何かをすれば気持ちが楽になるのだろうと、パンプスのヒールの底が少しすり減った部分を愛おしく見るカナだった。

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