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母からの愛がわかるようになった

先日我が家に母と祖父母が来た。近所に住んでいるので会おうと思えばすぐに会えるのだけど、我が家の子供達が体調を崩していたり、高齢の祖母の体調が芳しくなかったりでなかなかタイミングが合わず、ここ2ヶ月くらい最近会えていなかった。

玄関に入るなり
「大きなったねぇ」
と言って笑い皺のくっきり刻まれて目で4歳を見つめる祖父。分厚い手のひらで頭を撫でる。

娘と祖父、約90歳差の交流。
4歳は1から120まで数えるという最近身につけた特技を披露。祖父は、間で、ほぉ!とかへぇ、とか相槌を挟みつつ、すごいすごい、あんたは賢いねえと娘を褒め称える。ちょっと得意げな娘。

一緒にお昼ご飯を食べる間も、皆、4歳と1歳を褒めちぎる。たくさん食べられてえらい、自分で食べられてえらい、きょうだい仲がいいねえ。

祖母は1歳をたくさんあやしてくれ、1歳はケラケラと笑ってかまって欲しそうに近寄っていく。足腰が弱くなり、最近のことをよく忘れるようになった祖母。最近はもっぱらサポートされる側だったけどこの日は終始笑顔で1歳とたくさん遊んでくれ、1歳も心から楽しそうだった。共働き家庭の一人っ子だった私も多分、こういう風に遊んでもらっていたのだろう。

母は我が家のキッチンを短時間でピカピカにし、子供たちと遊んだり食べさせたりで食後のデザートを食べ損ねていた私に、ソーサー付きのカップで紅茶を淹れてくれた。デザートのシフォンケーキはカフェで出て来るようなおしゃれな形にカットして和皿に盛り付けてくれた。

「わぁ〜、」
それ以上なにか言うと涙が出てしまいそうで、そこで止めた。

私はこの家では母であって、子供たちに愛を注ぐ立場で、ごはんを作ってあげる立場で、りんごをうさぎの形に切ってあげるし、スープに入れるにんじんをハートの形にくり抜いてあげる。してあげたいことはたくさんあるし、そこに見返りは全然求めてない。自分のご飯なんてキッチンで立って食べても平気だし、美味しいいちごをもらった時なんかは子供たちにぜーんぶ食べて欲しいと思う。

私の母にとっては、そういう対象が私なのだ。

美味しかったし、嬉しかった。
私にあったかい紅茶を座って落ち着いて呑ませてやりたい、と思ってくれたんだな。その愛がしみじみ伝わってちょっと泣きたい気持ちになった。自分が母をやっているから、母の愛がわかった。

母はずっと仕事を頑張ってきた人で、小学校の運動会や参観日に来れないことも多かった。だから私は母のことを、仕事人としては尊敬してるけど母親としてはどうかな、、なんていう風に少し前まで思っていた。

でも母はきっと仕事と育児の両立に悩んできただろう。忙しい仕事の合間を縫って行事に参加してくれることもあったし、土日に開催される部活の大会にはいつも来てくれていた。習い事の送迎や制服のアイロンがけ、朝ごはんの準備、日常のあれこれについても、母の目線を携えた状態で振り返ってみたら、ほんとよくやってるよ、と当時の母に声を掛けたいくらいだ。

自分の母の愛がわかるようになったこと、これは自分が母になったことで得られる、大きくて嬉しい副産物だった。

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