ただのおじさん松本人志さんの週刊誌問題を語る

前置き

まず自分の立場を明らかにしておきます。

  • わたしはマスコミ業界にいません。テレビにも雑誌にも利害関係がありません。

  • わたしはテレビの視聴者です。松本人志さんは好きです。視聴者としては松本さんがテレビにいてくれたほうが人生楽しいです。

  • 週刊文春の読者ではありません。ただし、週刊文春がこの世からなくなると、本当に酷い権力者がいたときに刺せるメディアがなくなるかもしれないので、その点は少し嫌です。ただし代わりは週刊文春じゃなくてもいいです

言いたいこと

週刊文春が松本人志さんの記事を書いて、結果、松本さんは芸能活動を休止することになりました。

こういうスキャンダル記事についてわたしがよく思うのは、事実関係がわからないのに、みんな評価下しすぎ!です。

週刊誌がこういう記事を書いた。
ーこの段階だと事実はわかりません。週刊誌の誤りや嘘、誇張かもしれません。

当事者が反応していない。あるいは、否定した。
ーこの段階だとやはり事実はわかりません。まして否定したのであれば、どちらかが誤っている、嘘をついている、誇張しているということになります。どちらが正しいか判断する十分な根拠は持ち合わせていません。

週刊誌と当事者がいずれも嘘をついていないとしても、事実を誤認している可能性もあります。事実に対する捉え方が食い違っているということもありえます。

ましてや、週刊誌は自分が体験したことを記事にしているわけではなく、誰かから聞いたり取材したことを書いています。裏は取っているでしょうが、伝聞です。彼らは本当に起きたことは知りません。

そう考えると、メディアというものはデカい拡声器のようなものです。

メディアは凋落している業界ですが、週刊文春は勢いがあります。有象無象のメディアがありますが、週刊文春という拡声器から発せられる声は世の中みんなが聞いてくれます。

週刊文春は今後もより影響力を強めていきたいのでしょうし、いろいろ仕掛けていくでしょう。営利企業の一つだから当たり前です。M-1グランプリのあとのみんなが注目してくれるであろう年末のあのタイミングでビッグな記事を出したのも仕掛けのひとつでしょう。

話を戻します。

事実はわからないのだから、誰が悪いだの、記者会見すべきだの、犯罪だの言ったり、被害者がかわいそうだの、断罪したり評価したり、当事者でもない第三者が興奮してるのを見ると、彼らは本当に頭悪いなと思うわけです。頭が悪くないとしても、彼らは本当に教育を受けた現代人なのだろうかと思います。

わからないものは判断を保留すればいいのです。

わからないのに判断しまくる人たちは、きっと世の中のほとんどのことがわかっていない、知識と情報処理能力が乏しい人なのでしょう。普段の生活で全ての判断を大脳新皮質ではなく、小脳とその周辺で脊髄反射的に感覚的に処理することに慣れているだろうと思うからです。

わからないことが多い時は判断を下すのではなく、事実が確認できるまでは判断を保留し、事実関係が明らかになってから判断を下せばいいのです。さらに下した判断を悪様にSNSで拡散する必要があるのか立ち止まって考えてみれば・・・いいのにね。

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