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近付くと

は〜〜〜〜〜〜人生ってしょうもねえ〜〜〜〜〜〜と思っているのに続けてしまうのはどうしてなんだろう。

今年の誕生日は映画『正欲』を見に行った。私は原作の小説が人生で五本の指に入るほど好きなのでそれはそれは楽しみにしていたのだが、当然のように鑑賞後落ち込んでしまった。そういえば読了後も落ち込んだ気がすると思いながら一人で焼肉を食べて帰ったことを思い出した。

私は今年で22歳になった。22歳のことはもう少し大人だと思っていたが違うらしい。小学生の頃は近所のお兄ちゃんが大学に通うために引越しをすると聞いて大人だな〜と思っていたのにその時のお兄ちゃんと同い年の男の子に居酒屋のバイトで仕事を教えている。不思議だ。私自身は成長していないのに周りは私を責任ある大人として扱ってくる。ずっと違う世界に放り込まれたような、タイムスリップ、または異世界転生をしたかのような感覚がある。この世界で生きていくためには平気そうな顔をして求められている役割を果たしていく必要があって。でもその役割は小さい頃夢見たような魔法少女に変身して世界を救うことでもなく多くの人を巻き込んで革命を起こすようなことでもなく。大多数の大人は周りの大人から求められた社会の中の小さな小さな役割を果たすことでやっと居場所を与えられるのだ。

私は就職先が大学三年の12月には決まっていて、必要ならば銀行などに手続きも行けるようになって、自分の税金を払うための書類を作ったりすることだって出来るようになった。でも全然自分が大人である、大人になる自覚なんかない。大学四年生が終わるというのに。成人式に行かなかったせいだろうか?そんなことは無いだろう。成人式に行った人がみんな大人ならば、社会にはもう少し落ち着きのある人間が増えるだろうから。いや、落ち着きのある人間が大人であると決めつけるのは早計か。

中学の同級生が飛び降りで死んでしまう夢を見た。飛び起きたらそれすらも現実でびっくりした。

誤魔化しの人生を送っている自分よりも彼女に生きていてもらう方がずっと良かった。8/16と2/1が近付くと普段はしまい込んでいる希死念慮が嫌でも近付いてくる。でも私は自分の知り合いが死んでしまうことの悲しさを知っているから、加えてメンタルがちょっと強すぎるから、その選択をすることは無いんだけれど、でもやっぱり全員の記憶から消えたいなと思う日はある。彼女のことを思い出してしまうのは葬儀に行かなかったからだろうか。そんなことは無いと言いたいが、言えない。6年半経っても未だ受け止められていないことから私の人生において相当大きな出来事だったことがわかる。

しょうもない人間のしょうもない誤魔化しの人生だが、いつかしょうもなくなくなる時が来るんだろうか。しょうもなくない人生を送るための選択をしていますので、どうかしょうもなくない人生を送らせてはいただけないでしょうか。

正欲の一文目で語られるように、明日生きようと思う人のために作られた世界を明日生きようと思いながら生きていく。

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