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40年前に書いた、私のビジョン・ステートメント

コンビュータが超大型と超小型の二極分化をとげ,マイクロコンピュータはパーソナルコンピュータあるいは機器組み込み型といった形で加速度的な進展を見せた.
量産技術・システム技術と共に低廉化が進み産業形態,社会生活にまで少なからぬ影響を与えている.




マイクロコンピュータ開発当初は,コンピュー夕メーカー内部からも鼻つまみ者扱いされたと聞く.当然な帰結として大型機の集中化とは対照 的な実用化推進が成されてきた.量的拡大につれてマイクロコンピュータの存在が疎外された状況に追い込まれてしまった.我々のようにマイ コンにかかわる人間とて,同様である.パーソナルコンピュータという知的好奇心にかられるものを自室に据え置き,ひたすらキーボードに向 かう姿は常人から見れば異常に映るだろう. 1980 年代に向けてマイクロコンピュータの疎外された状況が変化を遂げようとしている.


ひとつは,産業からの要求である.最近のコンピュー夕技術で確立されつつある分散処理システムの普及により,複数のコンピュータを有機的 に結合すれば,より効率的な運用を期待できる.技術と信頼性が向上し,マイクロコンピュータを組み込んだインテリジェント端末がコン ピュータ・ネットワークの一環として導入されている.あまりにも巨大化,硬直化してしまった大型コンピュータの中央集権化は終焉をとげ, 分散と集中の再編成が進むだろう.




次に考えられるのは,社会的要求である.マイクロコンピュータを組み込んだ情報端末がマスメディアとパーソナルメディアとの接点部分で機 能するだろう.この新しいメディアは,コミュニケーションの主体を送り手から受け手に変える.あまりにも拡散し,時間軸によって引き延ば されてしまった情報の洪水の中から,真に有用な情報のみを選びだす道具となり得る.天気子報,株価情報,文献探索など,たとえ有償でも必 要な情報をより迅速に入手できるとすれば,無限の需要層をひかえていると考えて良いだろう.アメリカにおいては,電話回線を通じて,新し いユーティリティを提供するという新商売がアナウンスされている.”THE SOURCE ”という商品名で基本契約料は 100 ドル,ニュース,教 育,ゲーム,ビジネスなど広範囲に及ぶ数千種のファイルをボ夕ンひとつでアクセスできる.この種のシステムがそのまま日本で受け入れられ るとは考えにくいが,デー夕べースの質そのものを問われる時代になるのは必至だろう.パーソナル・ネットワークについては日本ではまだ具 体的な話は聞かれないが友入間で音響カプラーを通じてプログラムやデータの授受をする日もそれ程遠いことではないと。思われる.




データ通信を主体としたコンピュータネットワークの一部として存在することによりマイクロコンピュータは物理的な疎外からはまぬがれるだ ろう.コンピュータの存在を意識させない情報メディア,として社会システムに組み入れられた時,すべての環境を視覚的,空間的にむりなく 連結したものとして存在するだろう.しかし,コミュニケーションの主体が人間であることを忘れてはならない.かってオーディオマニアは, より良い音を探究するあまり音楽を忘れてしまった.道具の機能ばかり問題にして,肝心の,メディアとしての固有の働き,作用を無視するこ とのないように努力を続けていきたい。




すべてのメディアは人間のいずれかの能力 — 心的,または肉体的 — の延長である.
 メディアは,環境を変えることによりわれわれの中に特有の感覚比率を作り出す.われわれの感覚のどのひとつが拡張されても,それは,われ われの考え方,行為の仕方 — 世界を認知する仕方,を変える.

これらの感覚比率が変わる時.

人間も変わる — M ・マクルーハン




古川 享

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