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茶碗蒸しに銀杏(ぎんなん)が入っているのはなぜ?

茶碗蒸しに銀杏が入っているのはいつから?誰がどうして入れたのか?色々調べてみましたが、はっきりした答えは出ませんでした。以下は参考資料と推測です。

茶碗蒸しは長崎の卓袱料理?それとも江戸時代初期からあった?

卓袱料理(長崎に伝わった中国料理を日本人好みにアレンジした料理。長崎出身者が京都に開いた料亭から日本中に広まった)が現在の茶碗蒸しのルーツであることは、百科事典などの記述から間違いないようですが、日本人がアレンジした際に銀杏を入れたのか、それとも日本の茶碗蒸しを生み出すときに参考にした中国茶碗蒸しに元々銀杏が入っていたのか、というところがはっきりする資料が見つかりません。
ちなみに、中国語で茶碗蒸しを意味するという「蒸蛋」でレシピを調べると、現在の中国の蒸蛋に銀杏を入れるのは一般的ではないようです。

元祖茶碗蒸しを掲げる長崎の吉宗に関する記事を読んでいると、創始者が銀杏を含む9種の材料を選んだ、と書いてありましたが、伝聞なので信頼に足りず。
17世紀末の「本朝食鑑」の「銀杏」の項に中国由来の薬効の記述と、「炒って食べたり羹に入れる」という記述があるので、銀杏は当時日本でも薬効のある食材とみなされていたようですが、茶碗蒸しに入れたのが中国人か日本人かははっきりしませんでした。
あと、これはちょっと脱線ですが、福岡県の朝倉市に江戸時代から伝わる「蒸し雑煮」というちょっと変わった茶碗蒸し料理もあります。

茶碗蒸
現在,茶碗蒸といえば,蒸 茶碗に鶏肉,か まぼこ,椎茸,ぎ んなん,三つ葉などを入れ,だ し汁でうすめた卵 液を加えて,そ のまま蒸 してやわらかく凝固させたものである。 ところが茶碗蒸は古くは茶碗焼 とよんだらしく 「嬉遊笑覧」(1816)に は「今そば切豆腐といふを昔はうどん豆 腐 といふ。茶碗蒸茶碗焼といへり,是 等もふと聞ては迷ひぬべし」とあ る。
料 理 書 で み る と 古 い も の で は 「合 類 日 用 料 理 指 南 抄 」(1689)の 中に茶わん焼があり,木らげ,赤 貝,卵, いなのうす,山 椒 とその材料はあるが作り方 は記 されていない。「料理網目調味抄」(1730)では,貝焼,茶碗焼 茶碗蒸,てんほ焼は同様のもの としている。ふわふわ玉子のところで述べたように,厚手の器 にうすめた卵液を入れて加熱する場合,弱火の直火で加熱すればふわふわ 玉子になり,卵 液にいろい ろの材料を入 れてこのように 加熱すれば茶碗焼となり,これを蒸せば茶碗蒸 にな ると 考え られる。焼く場合は こげついたり火加減 がむずかしく,蒸す方が簡単 なので茶碗焼はなくなったのであろ う。「東本願寺御膳所日記」でも慶応2年 以後茶碗焼の名は みられな くなり,茶 碗蒸に変わってきているという。なお珍しい名称として茶碗ふかしというものがある。 「御料理御控帳」(1771)に は,現 在の茶碗蒸 とほ とんど同じ作り方を記 して,茶 碗ふか しと名づけている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/cookeryscience1968/20/4/20_319/_pdf/-char/ja

江戸時代の茶碗蒸しと銀杏に関する文献

長崎の卓袱料理の資料を見ると食材に銀杏が多用されていて、今も長崎の一般家庭に伝わる卓袱料理の茶碗蒸しにも銀杏を入れるので、これが長崎の茶碗蒸し(吉宗の茶碗蒸し)につながると推測できるのですが、
実は「茶碗蒸し」という料理は江戸時代初期の文献にも見られます。江戸中期の料理書にも銀杏を使った茶碗蒸しがあって、それが長崎の卓袱料理からどれくらい影響を受けているのか、もしくは卓袱料理が誕生する前から茶碗蒸しに銀杏を入れていたのか、そこのところがどうしてもわかりません。さらにややこしいのが、銀杏をすりおろして茶碗に入れて蒸した「茶碗蒸し」も存在することです。
豆腐百珍の「飛龍頭(がんもどき)」にも銀杏を入れるとあり、「飛龍頭」は卓袱料理から来ていると思うので、そうすると茶碗蒸しの銀杏も、卓袱料理からなのかな・・と思いますが、推測の域を出ず。

◉料理物語(1643)

料理物語(1643)

江戸初期の料理書。材料の項に「銀杏」の記述あり、当時すでに一般的な食材になっていた?

◉料理綱目調味抄(1730)
ここに登場する「貝焼き」を、茶碗蒸しの祖先という人も。
銀杏を入れる、という記述もある。

料理綱目調味抄(1730)

◉料理珍味集(1764)

「長崎パスデイラ」・・・茶わんの内側に油を塗り、さらに葛を塗り、好みの薬味、卵を入れて、やや固めの茶碗蒸しを作り、茶わんを割り中身を取り出す。

南蛮料理の流れをくむこの料理を、長崎の茶碗蒸しの祖型とする説がある。

1866年、伊予の藩士・吉田宗吉は長崎を訪れて長崎料理の店・吉宗を開く。この店のメニューに「長崎茶碗蒸し」がある。吉田宗吉が食べたのは「長崎パスデイラ」だったのか??

◉飲膳摘要(1817)

本草書。日用の食品である穀肉菓菜について中国の代表的な本草書「本草綱目」(1596)や諸書を用いてその効用をまとめた書。

飲膳摘要(1817)

◉日養食鑑(1820)

本草学者・医学者であった石川元混の著述になる。日常口にする食品についての効能・中毒などを食品ごとにまとめたものである。平かなまじりの和文で平易に記しているおり、庶民向けに刊行されたものである。

日養食鑑(1820)


◉素人包丁三編(1820)

精進肴の作り方の項に、茶碗蒸しのバリエーションが色々掲載されているが、

卵を使わず、茶腕に豆腐や栗や銀杏をすったものを茶碗に入れてせいろで蒸した茶碗蒸しも複数紹介されている。

素人包丁三編(1820)
素人包丁三編(1820)
素人包丁三編(1820)

◉万宝料理秘密箱 前編巻の二 卵の部

「長崎ズズヘイ」という料理について、訳者の奥村彪生氏は「一種の茶碗蒸し」と紹介している。

万宝料理秘密箱 前編巻の二 卵の部

◉図説 江戸料理事典(松下幸子著 1996 柏書房)「茶碗蒸し」の項

図説 江戸料理事典(松下幸子著 1996 柏書房)

◉豆腐百珍(1782)

「飛龍頭ひりょうず」のレシピに「銀杏を入れる」という記述あり

豆腐百珍(1782)

銀杏と普茶料理の関係は?


普茶料理の本を色々みていたら、銀杏があちこちで多用されていました。
隠元和尚が日本に持ち込んだ多くの食品の中に、銀杏は含まれていませんでしたが、普茶料理の「雲片」という野菜のあんかけ料理にかならず使われて
いたり、シメの飯料理に「銀杏飯」がラインナップされていたりするので、もしかして普茶料理の普及とともに銀杏の食用が広がった可能性も
あるのかな・・と思いました。でも、茶碗蒸しは卵を使うから普茶料理ではないんですよね・・やっぱり卓袱料理からですかね。


そもそも、銀杏はいつ中国から渡来したのか?

実ははっきりした時期はわかっていません。
日本各地に銀杏の古木が存在し、”樹齢1000年”など言われるものもありますが、「万葉集」や「源氏物語」などの古文書に記述はなく、現在のところ、銀杏が記された最も古い文献は14世紀のようです。

◉異制庭訓往来(1372)に「銀杏」の記述あり。銀杏が登場する最初の文献か?

中国料理における銀杏について

薬膳料理の思想が根付いている中国料理では、銀杏は「白果」と呼ばれて「咳や痰をとる」などの薬効を期待して使用されています。薬膳料理の食材辞典には必ず掲載されていました。

中国食物事典(1991 柴田書店)

銀杏は三国時代から注目を集め、宋代になると黄河流域でも広く栽培されるようになったという記述。

◉詩礼銀杏(18世紀に誕生した銀杏料理)

詩礼堂(孔子由来の建物)で採れた古木の銀杏の実を使った蜜煮。

清朝6代皇帝の乾隆帝お気に入りの料理として知られる。

長崎の卓袱料理は中国薬膳の影響を受けていたのか?

茶碗蒸しに銀杏を入れたのが中国人なのか日本人なのかははっきりしませんが、少なくとも長崎の卓袱料理が中国薬膳料理の影響を受けていたことは間違いありません。

元・活水女子短期大学教授の古場久代先生が、卓袱料理の献立について、薬膳の考え方から検討したそうです。そこで明らかになったのは、卓袱料理の中に薬膳の考え方や手法が実に見事に生かされていることでした。 長崎の旧家に今も伝わる卓袱料理のレシピには、銀杏がしっかり使われています。江戸時代から銀杏が身体に良い食材として活用されてきたことは間違いないようです。

大学の授業の一環として行った試食会の卓袱料理の献立について、薬膳の考え方から検討したことがあります。そこで明らかになったのは、卓袱料理の中に薬膳の考え方や手法が実に見事に生かされていることでした。
「長崎食文化の奥義 卓袱料理のすすめ」古場久代著 2007

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