大晦日のメモ②後半(年が明けてしまったので元旦のメモ)


明けましたね、みなさま本年もよろしくお願いします。
煙草を吸って、お笑いを見て、一息ついていましたが 後半の執筆をします。



先の投稿では、私のお気に入り帳と母についてを綴った。

だがどうだろう、幼い子供なんて、親が全てだ。己のもつ世界が非常に限られているからこそ、相対的に家族との世界観は大きなものになる。だから親の作り出した規律に従うことを最優先にして生きてしまう。
とくに私のケースのように、接触回数やその質でかなりの距離の近さをつくりだされている場合は、完全に精神性すら支配下に置かれてしまう。

その結果、私は自分から出てくる何かを形にする活動が、いつのまにか出来なくなっていた。
小学校低学年頃にはもう、どんなときも「正解」を連発することしかしない「優等生」になっていたのだ。

母とのことを構造的に省みると、なぜそうなってしまったかが改めてわかる。

例えば絵の件について。
まだそれほど言語を獲得していない幼い子の描く絵は、その子の分身と言っても決して過言ではないことを前提に話がしたい。その子自身の世界への受容やそれに対する解釈と反応、つまり、その子そのものの発露であると言える。

それを踏まえると、

私の描いた絵を破る : 私自身のものの見方や表現の仕方などの全てを否定、つまり人格否定をする

正解の描き方を言語で押し付ける : なるべき人物像を説教する

それを描かせる : 偽りの人物を演じさせる

ことになるのではなかろうか。


ピアノで楽譜をビリビリにしたあと自らの手で再構築させ、その通りに譜面をなぞらせるのも同じ構造だ。
自らの手で楽譜を再構築させる過程がどうにももう一味残酷にしか思えない。
その過程によって、自分で自分を偽るための自己欺瞞の手段を教育されたようにしか思えない。

こういったことの繰り返しにより私は、演じさせられていた偽りをすっかり内在化しきってしまったということなのだ。


まだ自我のかたまりきっていない幼子にこんなことをするのは、あまりに残酷なのではなかろうか。
性質が変わってしまって当然である。


前半の冒頭にも書いた、つくらずにいられない人へのコンプレックスや、全てが整わないと制作というものに取りかかれない性質は、きっとここからきていると思う。
私はすっかり変形させられ、いつのまにか表現の扉を自ら頑なに閉ざしてしまった。
だから今ではもう、思うままに、感じたままになにかを昇華させていくのがとても怖い。
自分の中に自分でテーマを紡いで、自分でそれを解決するかのようにものづくりをしていくのが、本当に本当に怖い。
だから私は、絵を描く時も模倣ばかりするし、譜面通りに曲を弾くのがとても上手だ。

正当な文脈や理論による後ろ盾がないと、つくるという行為自体やっていいものなのかと、不安で不安で、何もできない。


だが唯一救われることに、私は、このことに自分で気がつくだけの叡智を獲得していた。
その証拠に大竹伸朗展をきっかけにして、長年原因のわからぬわだかまりのように引っかかっていたこの呪いに、一思いに気がついたのだ。

それならば、自分が携えられるだけの叡智をつかい果たして、閉ざしてしまった表現の扉を、開かなければならない。
私はそう思った。

自分は、自分の力で何かを形にできる人なんだということを、生涯をかけてでも自らの手で自らに証明してやらなければならない。

それが私の生きる意味であると思う。


その手段が絵画なのか音楽なのか、はたまた芝居なのか舞踊なのか、詩なのか脚本なのか。私にはまだわからない。
でも少なくとも、何かを見つけて、自分で認められるくらいの何かをいつか作りたい。



ただ今は、その"何か"を見つけるにしても自信がなさすぎる。
これが手段として「正解」なのかと、正解にばかり囚われてしまう呪いはそう簡単には解けない。呪いを解くために必要なのが自信だ。
その自信を携えないことには、呪いのせいで理想の分野が見つけられず、何かを"つくる"ことへのスタートラインにすら立てないだろう。


少し話は現状のことへうつるが、
以上のような、"つくることへの恐怖感"があるのにも関わらず、わたしは今、広告業界のクリエイティブという作り手になっている。
いや、その恐怖感が根底にあるからこそ今、わたしは、広告業界に身を置いているのかもしれない。
ただ、私は広告が作りたいのではない。全くちがう。
決してこんな仕事が私の魂を救うとは思っていない。
だが、まずはこの表現の扉を閉ざしてしまった呪いを解くための手段として、ここを使ってやりたいのだ。

実は全然、広告の人を志していたわけでも、ここで何かを作りたくて入ったわけでも、ここで大成することを人生の目標にしていたわけでもなかった。
定年くらいまでこの会社にいる人は頭がイッちゃってるんじゃないかと内心では思っている。
世の中にはもっと、というか、その人にとってもっと意味のあることが、他にあるはずだ。
だから、私にとってはあくまでステップであってほしい。
(何故ここまでこの業界へ懐疑的なのかについてはまた別の機会に執筆する。)


ここで、何かを見つけるための自信をまず獲得し、その自信という切符を携えて、私の心から望むものをやりきる。いくつになってもいい。そんな気持ちだ。


広告をやめるために広告をやる。
道のりは遠いが、これに気がつけてからは、鬱屈としていた頃よりも幾分か、ワクワクできている。


そして望む何かを達成したその先には、母ときちんと対峙し、呪いが解けた私を認めてもらう必要もきっとあるのだろう、と考えている。
それまで、絶対に死なないでほしい。
対峙すべき存在、私の手で精神的な父殺しをするべき相手にひとりでに死なれてしまったら、私が死んでしまうから。



以上が私の昨年の振り返りであり、そして今年の意気込みだ。

私の望む場所へ少しでもはやく近づくために、2024年も生きていこうと思う。



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