大晦日のメモ①前半

1日1本書くつもりだなんていいながら、プライベートで色々あり、あまりに傷ついていて出力することが全くできていなかった。

こんなことがあると私は創作が魂の根底にある人間ではなくて、全ての環境が整ってはじめて創作に手をつけられるというような類の人間だと、叩きつけられる。

つくらずにはいられない、そんな人には憧れを通り越した羨望があり、もはや卑屈にすらなっている。
でもそれもいい。醜くなんかない。卑屈になれるのは、私の魂がありのままな証拠だ。


そんな私だが、今年を振り返ろうかと思う。

一月、大竹伸朗展に行った。
彼の作品の中には、大量のスクラップブックがある。

大竹伸朗さんの作品 スクラップブック(一部)


無から有ではなく、すでにそこに有るものとの共同作業、により何かを作り出している感覚らしい。あとはたしか、時間を可視化して積み重ねているとか書いてあった気がする。

それを見たとき、私は自分の幼少期を思い出した。

私は暇さえあればずっと絵を描いたり何かを作っている子だった。
その中でもメインの制作スタイルに、コラージュというものがあった。
そこらへんのチラシや新聞記事、幼稚園で拾ったシール、お菓子の包装紙などなどなどの素材のコラージュによるスクラップブック。切って貼っては上から絵の具で塗りつぶしたり、また別のものを重ねて貼ったり。たしか上から文字を書くこともあった。
幼い私はそれを『お気に入り帳』と呼んで、誰に教えられるわけでもないまま、まさに大量に創出しつづけていた。

これに限らず、何においてもわたしは気ままで、独特な子だった。
幼稚園くらいまでの頃は、他の子と違うことばかりしていて、浮いていたんじゃないかと思う。少なくともそんなスクラップブックを量産していた子は周りにいなかった。
他にも、思いついたメロディーを口ずさんだし、思いついたストーリーを語った。思いついたとおりに鍵盤を叩いたし、全て、やりたいことをやりたいときに、というふうに生きるのが好きだった。

ここで私の母の話をする。
私の母は、平たく言うならば「極めて常識的な人」だ。
彼女の中にはハッキリとした正しさの枠みたいなものが存在し、それを逸脱するものを忌み嫌う。嫌うだけでなく、徹底的にやり込める潔癖さも持ち合わせる。
たとえば彼女からしたら、ぜっっったいに「りんごは赤」だ。
仮に幼い私が、無邪気にりんごを紫やピンク、または虹色に描こうもんなら、画用紙はビリビリ。赤色のクレヨンで美しい形のりんごが描けるまで引っ叩かれることもあった。
だから隠れて絵を描いていても、見つけられては糾弾される。写実や耽美的な視点ではなく、独自の世界観で描かれる私の絵は母の目にはあまりに斬新で醜かったのだろう。
母の納得するまで、母の目の前で、母の正しさを、なぞらされ、描かせられる。

きっと私の母はピカソの素晴らしさや偉大さを生涯知らずに死んでいくのだろうと思う。
彼の作品を前に、「なにこれ?汚い。」と自信満々に一蹴する彼女の姿が浮かぶ。


ピアノだってそうだった。楽譜どうりに弾くことが正義で、それ以外は悪。アレンジや私なりの解釈は一切許されなかった。だから私が気ままな悪魔の弾き方をすると、髪をひっつかまれて椅子から引き摺り下ろされる。「なんでできないの!!」とあまりにヒステリックだ。
次々に楽譜を引き裂いていく。
それをセロハンテープで補強する作業は私がやり、その後、一切解釈のない楽譜どうりの曲を奏でることで母の許しを乞うのだった。


そんな母は当然、私の『お気に入り帳』は嫌いだった。チラシを切り貼りして塗りつぶしたようなものなど、美しいわけがない。どうしてもっと綺麗な風景が描けないの?どうしてそんなゴミばかり貼り続けているの?そんなものしか作れない私の娘は精神の病気なのかしら。私はそんな教育した覚えはないのに……!!!

4.5歳のある日だろうか。
母を何かしらでひどく怒らせたとき、とうとう母は私のこれまでの『お気に入り帳』を全て捨ててしまった。
「こんな汚いもの、もうつくらないで!!!!」ひどく興奮した彼女はそう叫びながら、私のこれまでの作品を全てハサミですズタズタにして、まとめて捨ててしまった。
幼い私はそれを泣き叫んで止めただろうか。
だが力で勝てるわけもなく、途中からは呆気にとられてただ見つめることしかできなかった。


 大竹伸朗さんの作品を見ていて、その瞬間がフラッシュバックしたのだ。
美術館の中で、私は息が細くなるのを感じた。
22歳の私は、その記憶にもう一度、正面からとても苦しかった。書いている今も、涙がにじみ、心臓が痛い。
正直、これを文字にして向き合うのがずっと怖かった。
1月にこの記憶が蘇ってから、そのこと自体について、今の私について、これからの私について。色んなことを考えるのにそもそも時間がかかった。
それらを整理し尽くしてようやく、文字にしてもう一度向き合おうと思ったが、それがなかなか怖いことで今日の今日まで出来ず、重ねて時間がかかってしまった。

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