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歴史と神話の世界を巡る旅①:安倍文殊院

こんにちは。市長になって海水浴場のサメ被害を隠蔽してみたい鮫サメ子でございます🦈🦈

いつもサメ、サメばっかり言ってて皆様を呆れさせていてはいけないと思い、今日はプチ旅行記を書いていきます。

4月23日の日曜日に奈良県桜井市の魅力溢れる観光地、安倍文殊院と箸墓古墳、さらに明日香村の歴史深い日本最古の寺院、向原寺を訪れてきました。

神戸から奈良までの道のりはバイクで約2時間。風を切り美しい景色を楽しみつつ、予想以上にスムーズなドライブで最初の目的地、安倍文殊院に到着しました。

安倍文殊院:歴史と神話が交錯する寺院

安倍文殊院は、奈良県桜井市にある華厳宗の寺院で、本尊は「三人寄れば文殊の知恵」として有名な文殊菩薩で、国宝に指定されています。日本三文殊の一つとして知られており、祈祷寺として1300年以上の歴史があります。境内には金閣浮御堂や文殊院西古墳など、見どころがたくさん存在しています。

境内案内図

駐車場を降り立つと、まず目に入るのが金閣浮御堂・霊宝館。ここでは、開運弁財天(大和七福神)、安倍仲麻呂、安倍晴明の御尊像、安倍晴明の御尊軸をはじめ、陰陽道に関する宝物が祀られています。また、堂内の六面の壁面には秘仏の十二天御尊軸(室町時代)が祀られています。ただし、こちらを拝観する際は別料金が必要なので、注意が必要です。今回私自身は入っていませんが、ぜひ次回の訪問時には拝観したいと思います。

受付と金閣浮御堂・霊宝館

まず最初に訪れたのは、金閣浮御堂の目の前にある文殊院西古墳。

西古墳

この西古墳は安倍文殊院の境内にある円墳で、直径約25-30メートル、高さ約6メートルと見応えがあります。古墳内部には切石の両袖式横穴式石室があり、南方向に開口しています。石室は花崗岩のレンガ状に研磨された精巧なもので、天井には巨大な一枚石が架かっています。築造時期は7世紀後半頃で、国の特別史跡にも指定されています。

この古墳の被葬者は、飛鳥時代の豪族・安倍倉梯麻呂(あべのくらはしのまろ)とされています。彼は孝徳天皇の左大臣を務め、645年に一族の氏寺として安倍文殊院を建立しました。

古墳内には入ることができ、弘法大師が造ったとされる「願掛け不動」も拝めます。ただし、入り口は非常に低いので注意が必要です。身長159cmの私でもかがまないと入れないくらいです。

中は広く、歴史を感じさせる空間が広がっています。盗掘により、現在は棺などはありませんが、安倍文殊院を建立した人物がかつてここで眠っていたと考えると、感慨深い気分に浸れます。この場所で過ごす時間は、まさに歴史の息吹を感じる貴重な体験でした。

入り口
弘法大師が造ったとされる
願掛け不動

続いて、私が向かったのは今回の見どころである本堂です。

本堂

本堂は御本尊の文殊菩薩が安置されている神聖な場所で、他のお寺と同様に、御本尊がある本堂の中は基本的に撮影禁止となっています。そのため、本堂の中は残念ながら写真を撮っていませんが、境内にあった御本尊の写真を使って紹介させていただきます。

安倍文殊院の本堂に入ると、目に飛び込んでくるのは、獅子に乗る文殊菩薩を中心とした渡海文殊群像です。この国宝は、雲海を渡り、私たち衆生の魔を払い、智恵を授けるための説法の旅に出かけている姿を表しています。

御本尊の文殊菩薩は獅子に乗っており、右手には「降魔の利剣(ごうまのりけん)」という剣を持ち、左手には慈悲・慈愛を象徴する蓮華(ハスの花)を持っています。「三人寄れば文殊の知恵」と言われるように、文殊菩薩は仏教で智慧の菩薩として尊ばれており、その知恵は無限とされています。文殊菩薩の胎内墨書銘から、建仁三年(1203)の大仏師・快慶の作であることが判明しています。木彫極彩色の騎獅像は、高さが約7mあり、日本最大です。一番左の維摩居士像を除いて、他の像はすべて快慶の作品です。

私が訪れた際、文殊菩薩の前で若い僧侶が参拝者に説明していました。その言葉が心に残り、メモを取っておけばよかったと後悔しています。

智慧の菩薩が御本尊であるため、受験生と思われる方がたくさん参拝していました。沢山の絵馬から、「❍❍大学に合格しますように」といった願い事が書かれていることがわかります。受験生も大変なんですね。

ちゃんと御朱印も貰ってきました

そして次は、もう一つの古墳の東古墳も行きました。本堂から少し離れた場所にあります。

東古墳

東古墳は、7世紀前半に築造されたといわれる円墳または方墳で、横穴式石室が露出しています。

羨道部に井戸があるため、「閼伽井窟」(あかいくつ)と呼ばれて古来から信仰の対象とされてきた場所で、訪れた際にはその神秘的な空気に触れることができることでしょう。安倍氏一族の墓である可能性が高いとされていますが、確実な証拠はなく、被葬者は不明であることから、さらなる謎とロマンが感じられます。

残念ながら石室内には入れませんが、開口部から中を覗くことができるので、遠い昔ここに誰が眠っていたのかを想像しながら、歴史のロマンに思いを馳せてみてください。

中にはお地蔵様が3体見ることが出来ます。一体誰のお墓なのか…

さて、安倍氏一族で有名な歴史上の人物といえば、2001年の日本映画「陰陽師」で広く知られるようになった安倍晴明でしょう。

安倍晴明は、平安時代の陰陽師で、天文道や占術に秀でた人物でした。式神を使ったり、病気や災いを払ったりするなど、数々の伝説が語り継がれています。安倍晴明は、安倍文殊院の近くの安倍史跡公園辺りで生まれたとされており、幼少期にはここ安倍文殊院で陰陽道を学び、境内に残る天文観測の丘で星を見て修行をしたと言われています。

そんな安倍晴明を祀ったお堂が晴明堂です。こちらは東古墳の向かいの合格門の階段を上がった場所にある天文観測の丘に位置しています。

受験生は是非ここへ

晴明堂

晴明堂は、実は比較的新しいお堂で、平成16年(2004)に、安倍晴明千回忌を迎えるにあたって200年ぶりに再建されたものです。正面にある「如意宝珠」は、どんな願いも叶え、悪を払い、災難を防ぐ功徳があると信じられている神秘的な玉です。

伝説の陰陽師・安倍晴明がこの地で星空を眺めていたことを想像すると、歴史のロマンを感じずにはいられませんね。彼が見上げた星空の下で、どのようなことを考え、感じ、そしてどのように陰陽道を学んでいったのでしょうか。訪れた際には、安倍晴明が見たであろう星空を想像しながら、自分自身も彼の足跡を追いかけ、歴史のロマンに浸ってみてください。

安倍晴明の母親を祀った稲荷神社にも行ってきました。

稲荷神社

安倍晴明の母親は人間ではなく葛の葉という名の白狐。そして彼女が祀られている稲荷神社は、伏見稲荷大社に似た景観の鳥居が並ぶ様子は、特徴的でインパクトがあります。

江戸時代まで西古墳の頂上にあった稲荷社が、現在は金閣浮御堂が見える場所に遷座されています。五穀豊穣・金運財運・商売繁盛・家運隆昌等の御利益があるとされ、多くの人々に信仰されている神社です。

この稲荷神社を訪れると、安倍晴明という歴史上の人物の生い立ちや、神話と現実が交錯する神秘的な世界に触れることができます。歴史や伝説に興味がある方には、特におすすめのスポットと言えるでしょう。

拝殿からの眺め

安倍元総理寄贈の灯籠

安倍氏と聞くと、忘れてはいけない人物が元総理大臣の安倍晋三氏です。昨年7月8日に奈良市で銃撃に遭い、悲劇的な最期を遂げました。安倍元総理は直接的に安倍氏とは関係がないものの、同じ名字であることから、彼が寄贈した灯籠が境内に立っています。

安倍元総理が存命ならば、この灯籠に無関心で通り過ぎることもあったでしょう。その安倍元総理が最後に搬送された場所は奈良県立医科大学で、ちょうど安倍文殊院のすぐそばに位置しています。何とも皮肉な運命のように感じざるを得ない状況でした。もちろん、単なる偶然の一致であることは理解しているのですが。

いかがでしたでしょうか?安倍文殊院に行ってみたくなりましたか?次はバイクを飛ばして、謎の古墳である箸塚古墳に向かいました。

箸塚古墳についてのレポートは、次のnoteでお届けしますのでお楽しみに!

それでは皆様シャークと共にあれ(May the Shark be with you)🦈🦈

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