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浄土複合マティスの講義1回目を受けて

講義は19時半からだったから家で食べてから行っても良かったのだけど、ぎりぎりになってしまうとよくないと思って、先に浄土複合の方に行ってその近くでご飯を食べてから行こうと思って、18時くらいにバスに乗った。自転車が停められるかどうか分からなかったからバスで行った。浄土寺に着いてブラウンという定食屋で唐揚げ定食を食べた。店主がご飯を盛るときに、同じタイミングで入った中年の女性には、ご飯の量はどうしますかと聞いていたが、私に盛る時は何も言わずに、それが普通サイズかどうか分からないが結構な量のご飯を出してきた。小さめのテレビでバラエティ番組がやっていて、最近はほとんどテレビも見なくなったが、やってると見ちゃうな、と思った。食べ終えて浄土複合のスペースに入ると、2人いた。1人は今回の講義をする池田さんで、もう1人は博士課程の人がいた。講義はマティスについてのイントロダクションで、後半は切り紙絵の解説に時間が割かれた。フォーヴとキュビズムを対照的に考える点がとても分かりやすく、美術の世界ではよくある言説なのかもしれないが腑に落ちて、マティスとピカソがセットで考えられがちなことにも合点がいった。マティスの作品の製作過程も取り上げていて、完成版に至るまでの労力が感じられた。新美術館のマティス展に行ったときに、マティス夫人の肖像を見た子どもが、これ途中じゃん、と言ったのをよく覚えている。たしかに途中だ。顔の一部と背景の一部にだけ筆で色をつけている箇所があって、それ以外は何も塗っていない。たぶん影なんだろうが、本来の影よりもだいぶ鮮やかな色で、影でないところとの連続性は無く、浮いている。だから途中に見える。荒っぽい筆遣いで、これなら自分にもできると買い被りを受けるだろうし、その子どもがこれ途中じゃんと言ったのもマティスを舐めている節がある。舐められやすさをどうにかするために、マティス自身が完成版に加えて製作過程の段階のものも展示したことがあるらしいが、その舐められやすさがプラスにはたらくこともあり、ゆったりとした空気に安心したり、わたしにも何か作れるかもしれないと思う。オンラインで参加している人が多かったが、私は今後も現地に赴きたい。周囲で美術の話をする人がなかなかいないので楽しかった。帰りは歩きで帰った。

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