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コロナが私から奪ったもの

これまで定期的に海外に行っていたのは、なぜなのか。

遊びたいから、食べたいから、知りたいから、だと思っていた。

新型コロナが流行し、海外へ行くのが難しくなっても、さして困難はなかった。日々の生活を過ごし、いつか解放される日が来ると信じるだけで生きていけた。

でも今日。撮りだめたドラマが終わったので、以前撮った旅行番組を見ることにした。中国・雲南省を撮影した番組だ。

好きな番組だったので、過去に何度か見たことがある。でも、今回だけは涙が出てきた。この町、この路地、すべてが手の届かない遠い場所に思えたからだ。

そして以前の私が海外旅行を続けた理由もわかった。私と同じような一般人が、どう暮らし、どう生きているのか。その姿、日本との大きな違いを体感して、こんな生き方もあると実感するために、私は国境を越えていたのだ。

心の余裕は海外がくれていた。あんなこともある、こんなこともOK、そんなことも問題ない。日本という狭い価値観の国で生まれ育った私が、自分を解放する場所が海外だった。

それがなくなった今、許せることの幅が狭くなっているように思う。ヨーロッパはおろか、頻繁に行ったマレーシア、台湾、中国が、もうどこに存在するのか分からないくらい遠く、不明瞭だ。

私の偏狭さを、すべてコロナのせいにするつもりは全くない。でも、いつの間にか私を蝕む存在を、今日、まざまざと見せつけられた。

(写真)中国雲南省の大理古城