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沢田研二さんのドタキャン騒動について

この騒動を聞いて思ったのは、私には絶対的スターがいなかったなということ。大階段を歩くスターを、その真下から、両手を合わせながら見上げるようなことは一切なかった。

私は、強いて言えばSMAP世代で、アイドルがバラエティに進出し、神秘的な存在からどんどん親近感のある存在になっていった。

その後、「会いに行けるアイドル」としてAKB48らが登場し、さらにSNSの普及で、アイドル自らが発信するようになってからは、益々その傾向が顕著になった。

こうして、ファン・ファーストなアイドルが当たり前になっていたので、7000人なんて足りないんだよ!とのたまうジュリーに一瞬混乱した。なんだ、このおじさんはと。

しかし、だ。薄暗い住宅街で、超逆光の中ジュリーが語るという不思議なシチュエーションではあったが、それでも、わざわざ出てきて、自分の言葉で語ろうとする姿勢は評価できた。

9000人でないと。僕にも意地があるから。

これは、なかなか言えませんよ。炎上を恐れる私たち世代には。

ファンには甘えさせてもらった。

さらにこれには、ファンとの強い信頼関係が感じられた。分かってくれるという思いだろう。一方のファンも、「ジュリーらしい」と理解を示す人が多いようだ。

ジュリーの対応を非難するのは簡単だし、もちろんそれは正論なのだが、ただ、このスターとファンの間には、全く違う世界が出来上がっている。

スターならでは強い引力と、それに喜んで引かれるファンの人たち。周りを気にせず、その世界に集中できる人たちを羨ましく思う。

参考までに、ジュリー世代である母親に、今回の件について聞いてみた。

「ジュリーは歌ったほうが良かった。同じファンが何回も見に来ているはずなので、ジュリーには、ファンにはまた会えるという甘えがあったのだと思う」

意外に鋭い、70代の声だった。