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満洲族物語

長春行きに関し、今まで食事のことしか書いてこなかった。しかもお世辞にもグルメとは言い難い、お役に立たない情報ばかりで申し訳ない。

この回は少しだけ真面目に、なぜ私が長春に行ったのかについて触れてみたい。

まず、皆さんは長春と言えば、何を思い出すだろうか。

学校で習った満洲国の首都があった場所。最近では中国自動車産業の中心地であり、第一汽車(一汽)の拠点もここ長春だ。あと、長春のある吉林省は北朝鮮と国境を接している。名山・長白山もここ吉林省にある。

私は大学で、満洲族の歴史を学んでいた。清朝を起こした太祖の実録である『満洲実録』も読んだ記憶がある。不勉強であったが、この地域が好きで、ここに生きた人が好きだ。

最近ある本で、長春から高速鉄道で行ける吉林省吉林市に「吉林市満族博物館」があることを知り、早速訪ねようと思ったのが旅の背景だ。

▲吉林市満族博物館

ここで当然、「満洲族ってなんだ」という話になるが、現在の時間軸でいうと、中国に55あると言われる(伝聞調なのは政府が認めていない民族がまだあるとされるため)少数民族のうちの1つ。今は「満族」という。人口は1000万人を超え、少数民族の中では3番目に多い。主に、東北3省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)と河北省に居住している。

ちなみに最も人口が多い少数民族は、南方を拠点にするチワン族、次いでイスラム教を信仰する回族。2010年のデータで、回族と満族の数はほぼ同じだが、わずかに回族が上回っている。

また、少しだけタイムスリップすると、最後の王朝、清朝はこの満洲族の国家だ。だからラストエンペラー溥儀も満洲族。清朝ができたのは17世紀だが、12世紀には金という王朝が起こり、彼らも満洲族だった。

日本人は満洲国のイメージが強いので、満洲をあたかも地名のように捉えるが、満州(本来は満洲)は民族名である。東北部を拠点にしたツングース系の民族、古くは女真族と言ったが、清朝第2代皇帝のホンタイジが満洲族と自称し始めた。

ホンタイジの父であり、清朝初代皇帝のヌルハチは、女真三大部族の1つである建州女真のスクスフ部に属していた。ヌルハチは若くして建州女真を統一し、彼の支配地域は女真語で「マンジュ・グルン」と呼ばれた。グルンとは「国」の意味。ホンタイジが「満洲族」と自称したのは、このマンジュグルンに由来すると考えられる。

▲ヌルハチの像

女真三大部族とは、建州女真、海西女真と野人女真の3つを指す。おとなしめの野人女真に対し海西女真は強大で、その力を恐れたヌルハチは、正室に海西女真のウラナラの女性を迎えている。

海西女真は、ウラ、ハダ、イェヘ、ホイファの4部から成り、ウラナラとはウラ部の酋長を務めた一族のこと。時代は下るが、日本人もよく知る西太后は、イェヘ部の酋長一族であるイェヘナラの出身だ。

▲女真族の勢力図(さんだるさんばる作成)

ヌルハチがイェヘを併合した戦いは壮絶だったと言われ、イェヘナラの酋長ブジャンタイは死の際に、「イェヘナラは1人の女性を残す。それが必ずアイシンギョロ(愛新覚羅、ヌルハチの氏族名)を滅ぼすだろう」と言い残したといわれる。そして、清朝末期に登場したのが、イェヘナラの西太后だったので、皆が「ブジャンタイの怨霊だ」と恐れたという嘘みたいな話も伝わっている。

以下、黄色の枠の部分が、私の卒論の範囲。

▲ヌルハチの偉業(さんだるさんばる作成)

吉林市満族博物館には、卒論に記した時代のあれこれが、惜しみなく並べられていた。

まず、目にしたことのないくらい大きなヌルハチの像には感動が抑えきれなかった。ヌルハチらが使ったとされる刀剣や槍、福晋(皇帝の妃)らが使ったかんざしなどの装飾品、山海関を越えるホンタイジの弟、摂政王ドルゴンの油絵もあった(描かれた時期は新しい)。

▲何の説明もなく、ヌルハチの像の横に置かれていた刀

▲清朝皇室が用いた剣

▲清朝の貴婦人が身につけた髪飾り

▲清朝官吏の帽子。頭頂部の玉が美しい

▲清代、高位にあった女性が着用した防寒帽。カワウソの毛を使用

▲女真族が使用したとされる狼皮

曲がりなりにも歴史学なので、私の格闘相手は史料と論文であり、ヌルハチらが草原を駆けめぐる姿を視覚的に伝えてくれるものはなかった。でも、ここに並んだ展示品たちは、その無機質な記憶に血液を流し、確かに彼らが生きていた証をはっきりと見せてくれた。

例えば、私は当時の史料から、漢人と満州人の交易実態を調べていたが、そこには交易品として「貂皮」が頻繁に出てきた。そんな毛皮が、博物館には飾られていて(「貂皮」ではなく「狼皮」だが)、大きな充実感とともに、交易人同士の掛け合いが聞こえてくるような幻想も浮かんだのだ。

ただ1つ残念だったのは、この博物館は決まった時間にしか資料室を開館しないことだ。係員の説明に沿って進むのだが、説明が終わり、ほかの中国人客が次の部屋に移動しても、私はまだ半分くらいしか見ていない。中国人ほど早く解説が読めないし、じわじわくる感じを味わっていたら、この時間ではとても足りない。

そして、最後は追い出された。

ただ、せっかく3000キロを越えて(直線距離ではなく、経由で来た距離を合算)やってきたのだから、次の参観時間まで待って再び入場することにした。

博物館は、清代特有の四合院様式を採用した美しい佇まいを見せる。ヌルハチ関係以外にも、満洲族の中で自然崇拝を信仰する「サマン(薩満)」と呼ばれる人々の文化、習慣にスポットを当てたコーナーもあり、大変興味深かった。シャーマン的な立場にあった人々のことで、彼らの習俗や衣装、お祈りの仕方などを紹介していた。

▲摂政王ドルゴンの像。ヌルハチほどではないがこの像も大きい

最後まで、私の趣味の話にお付き合いいただき、ありがとうございました。