見出し画像

誰かを傷つけてはいけない、ただそれだけ

「新潮45」の問題の背景には、雑誌が売れない時代に先鋭的な意見を集めて、一定の支持を得たいという狙いがあったのは間違いないだろうが、編集部が「営業」と割り切って部数をかき集めているのか、本心から支持しているのかでは評価の質が異なってくる。

当初私は前者であろうと考え、出版業として誉められたものではないが、大手出版社も苦境なのだと同情する部分はあった。しかし、今回改めて「反論」を掲載したことで、編集部は心から「杉田水脈発言」を容認し、称賛しているのではないかと薄ら寒いものを感じた。

★私の脳内イメージ
(出版社)雑誌が売れない → 思想の先鋭化 → 一部の読者獲得 → さらに先鋭化 → さらに一部の読者喜ぶ → 部数大幅減を阻止

(編集部)一部の読者から熱い支持 → 誉められると嬉しい → さらに先鋭化 → さらに誉められる → 思想の固定化 → 常識の欠落

日々、似たような話に触れていると、いつのまにかその話が社会の常識に思えてくる経験は、皆さんもあるのではないか。ただ、そこで「本当にそうなのか」と立ち止まれるかどうかが、メディア人としての分水嶺だと思う。

物事は多面的で、さまざまな方向から評価すべきであり、個性的な見方は大いに歓迎したい。ただ、もちろん何を書いても良いわけではなく、書く・書かないの最終判断は、「だれかを傷付けていないか」で決めるものだ。

私の仕事は企業や大学への取材がほとんどだが、この記事によって、誰かに迷惑がかからないかに細心の注意を払う。

こうしたメディア人としての常識が、組織にいると麻痺してしまうことがある。それが今、一番恐ろしい。

#新潮45