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「の」か「に」か

『地図のない場所で眠りたい』(高野秀行、角幡唯介著)は、ノンフィクション作家で、同じ早大探検部OBの2人による対談本。対談本は編集が容易なので、あまりお金を出して買いたくなかったが、先日読んだ高野氏と清水克行氏による『世界の辺境とハードボイルド室町時代』が面白かったので、読んでみることにした。

高野氏の本は結構読んでいるが、角幡氏のものは『空白の五マイル』のみ。新聞記者方式の取材で事実を固める角幡氏に対し、高野氏は生活の中から見えてきた真実を、作者の目線でまとめていく。その違いは本書の中でも描かれている。

私も記者稼業をしているので、取材手法やそこからどう記事を作っていくかという点は参考になった。あと、どんなノートやペンを使っているのかも。意外と普通のキャンパスノートを使っていたことには共感を覚えた。

また、私が高野氏の著作で懐疑的に思った点は、それとなくだが角幡氏が指摘している。やはり、気になる人には気になるのだ。

さてさて。タイトルの『地図のない場所で眠りたい』だが、これは角幡氏が決めたと何かの記事で読んだ。恐らく私も、この言葉遣いは高野氏ではないと思う。

ただ、私は当初、誤って『地図にない場所』と読んでいた。それでぐっと引きこまれて、この本を手に取ったのだが、それが『地図の』であることが分かったのは本書を読み終えた昨日のことで、どういう意味だと混乱するとともに、一気に平凡なものに思えてきた。

私が思う「地図にない場所」は、一般的な地図には表れないような小さな場所のことで、「眠りたい」は「味わいたい」と訳した。そういった場所を訪ねて、心ゆくまで堪能したいという意味だと思った。

しかし、「地図のない場所」であれば、それは「地図が存在しない場所」のことだろう。地図の束縛から離れた場所に行きたいという意味か。地図など持たずに自由に行きたいの意味か。

「眠りたい」がそのまま「休みたい」の意味であれば、地図があると仕事を思い出すので「地図のない場所がよい」という意味か。まさか。それなら、なおさら残念だ。

でも、角幡氏は言葉遣いが巧みなので、実はもっと深い意味があるのかもしれない。怒られそうだが、一度聞いてみたい。

(大いなる見落とし)表紙をよく見ると英語で、''Exploring the unmapped world"と書いてあるではないか。直訳だと「未知の世界を探検する」。ならば、やはり「地図にない」方がいいような気がしますね。

#高野秀行 #角幡唯介 #地図のない場所で眠りたい