ようこそ黒瀬欄へ!(未来2018年3月号)

ちょっとは長い文章を書きたいぜ!ということで軽率にnoteを始めました。今回のテーマは「未来2018年3月号黒瀬欄を読む」です。読むよ。


私は『未来』の「陸から海へ欄」というところに所属していて、黒瀬珂瀾さんに毎月歌を送って読んでもらっているんですね。なのでここを黒瀬欄と呼んでおります。10首まで送って、それを黒瀬さんが読んで、何首か載せていただいているというところ。皆そんな感じです。質問は?特にない?じゃあ、読みます。


ファインつて書けばフィーネだシャインシャインシャイン、拳を光のはうへ(伊豆みつ)

フィーネというのは音楽用語でfineと書きまして、意味は「終わり」です。英語風に読むと「ファイン」。shineはシャインですけど、ローマ字で読むと「しね」、というわけです。「輝け」と「死ね」がオーバーラップしてリフレインされる、というところがこの歌のキモかと思います。このリフレインかっこいい……!結句もかっこいいですよね。生が死を包み込みながら光の方へ向かっていくような力があります。生を讃えているという単純な話ではなくて。


おやすみと唱えたあとのおやすみのことだま眠るまでそこにいて(岡本真帆)

「ことだま」に向かって「そこにいて」と言っているのか、一緒にいる人に向かって言っているのか読みが分かれますが、どちらと取るのがよいかな。「唱えた」という言葉選びもよくて、これが「おやすみ」を呪文のような位置づけにしていると思うんです。それでさらに「ことだま」が生きてくるんですね。話しかける口調で詠まれているんですけど、とても上手く言葉選びが計算されていると思います。平仮名の多用も、眠そうな、そして親しげな感じが出ていて巧みです。


炎上の果ての凍結ゴジラにも死にたい朝があつたのだらう(文月郁葉)

詞書は「自殺を仄めかす投稿の規制を検討」です。

ツイッターで自殺を仄めかす内容を書くと「アカウントが凍結」されるようになった、らしいですね。それと映画『シン・ゴジラ』を踏まえて詠まれた歌だと思います。ゴジラという破壊的で、生命力に満ちた存在にも「死にたい朝」はあった。「にも」だから「わたしにもある」ということなのでしょうか。でも「あつたのだらう」はわりと距離を置いてさらっと詠まれていて、歌が過度に感傷的になるのを防ぐ効果をあげていると思います。ゴジラ、そしてわたし、と対置した命のありようが、うまく詠まれています。


百年ののちにあなたになる雪を手の中に瞬間(いま)かくまっている(真篠未成)

「百年ののちにあなたになる」なんてどうしてわかるのか。しかもじゃあ、「あなた」は今どこにいるのか。みたいな話なんですが、そこに説得力を与える歌の力があると思います。雪が手の中でぱっと溶けてしまう、それが「瞬間」という表記で表現されているわけですよね。しかも、「かくまう」なのにかくまうと熱で溶けて消えてしまう。そこにほんのりと怖さを感じさせつつ、優しい歌にもなっていて、このあたりの表現が巧みだと思いました。単に「バランスがいい」というだけでは語りきれないですよね。


では師匠、黒瀬珂瀾さんの歌を読んでみます。『未来』には選者の歌も毎月載るよ!読めるよ!いかがですか?と宣伝しつつ。


不要不急と見做されざれば吹雪へと正社員も契約社員も歩兵第5連隊も(黒瀬珂瀾)

歩兵第5連隊は八甲田山雪中行軍遭難事件の、遭難した部隊だと思われます。大雪だと(私の住んでいる関東では)テレビに「不要不急の外出は控えてください」とか言われて、でも皆仕事だから「不要不急の外出なんてあるかな……」と思いながら出かけていく。誰かが「見做して」くれれば不要不急になるのかもしれませんが、誰も「今日は不要不急ということにしましょう」と言わないものだから出かけざるを得ないんです。それは正社員も契約社員も第5連隊の兵士たちも同じで、そこにシステムに逆らえない理不尽を読み取ることもできるでしょうし、もっと広く、生きる上での「やむを得なさ」みたいなものを見ることもできます。しかし、それほどはっきりと「こういう歌です」と言ってしまわない方がいいと思う。そういう結論を拒否するものがあると思うからです。誰の気持ちもはっきりと描かずに「吹雪へと」と詠まれているのが大変見事だなと思います。


こんな感じです。機会があれば別の欄の歌も読みたいです。ではまた。

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