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日記2021年9月18日

相変わらず働いて家に帰る以外のことは特にしていない。「思い出をつくる」ということが本当に困難な時代になってしまった。学生が修学旅行や体育祭・文化祭といったイベントを次々に中止にされているのを見ると気の毒になる。しかし考えてみると、彼らより我々大人たちの方が残された生存時間が短いはずである。自分を気の毒に思った方がよいかもしれない。


とはいえ、「世界中の人がみんな我慢している」からまだ自分も我慢できている人は少なくないはずだ。いつか新型コロナウイルスを克服できたとして、みんなが笑顔で外食や旅行を楽しみはじめたのに、コロナ期間に生活基盤が壊れてしまったりもともと苦しい生活を送っていたりしてその流れに乗れない人が出るだろう。そして彼らの中には寂しくて寂しくてたまらなくなって死んでしまう人がいるかもしれない。その中には自分が含まれているかもしれない。「そんなはずはない」と誰が言いきれるだろうか。


最近ちょっと進歩したことといえば将棋くらいである。将棋はわりと最近始めたのだが、非常に熱心に勉強しているわけでもないので、全然うまくならない。が、将棋ウォーズというアプリで「難しい」とされている練習相手(CPU)に勝てるようになったので対人戦を始めた。驚くほどあっさり負ける。普段は「ぴよ将棋」(アプリ)を愛用しているのだが、面白いことに対人戦で負けた時の方がはるかに悔しい。相手の姿が見えるわけではないので、コンピュータと対局しても人間と対局してもやることは同じである。それでも「負けたくない」という気持ちになる。そういうわけで、もうちょっと将棋を勉強したくなった。


将棋は『3月のライオン』に影響を受けて始めた。その中に、主人公がどうしても勝ちたい棋士がいて、その棋士と対局するには別の人に勝たなければならない場面がでてくる。その「別の人」を主人公は単なる通過点と見なした挙句あっさり負けてしまい、心の底から恥じ入る。「別の人」は「ああいうことって若いころは誰でもあるよな」と仲間の棋士と話すのだが、しかしその「別の人」もA級棋士なのだ。A級棋士を侮るなどということが果たして可能なのか? と思うようになった。どうだろう。



ということで、私はでたらめに弱いのだが、それでも前より少しでも前に進めていることがあるのは嬉しい。


冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか(中城ふみ子『乳房喪失』)


17歳の自分が見たら呆然とするような無惨な人生だと自分でも思う。が、その無惨をもっと見てみたい、という気もするのである。

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