SCENE8:「工場見学」【メイキングオブ『ワンダーら』】
●シーン概略
干し芋工場の見学に来た子供たちの、質問コーナー。
◎何気に突破口
本作において、明確に〈それ以外のもの〉について触れられるシーン。実は〈海〉の次に具体的に思いついたのがこのシーンである。
『2017』転用や種々のモチーフの想像こそついていたが、それをどういった塩梅で、またどういった温度感で設えていくべきかに割とずっと悩んでいた。このシーンを思いついたのが、その突破口となった。まさに「あるはずなのに見えていない〈それ以外〉」について問うというやりとり。やりたいことを、このテンションで編んでいけばいいのだな、このテンションが自分にはしっくりくるな、と感じた。
◎ツッコまない、という救い
いわばギャグ漫画として描く、みたいなことである。なんとなく流れ的には思わせぶりなシーンだけど、ここ単体で見ればギャグ調が保たれている。
しかしひとつ大事だったのは、この子供の質疑にツッコミを入れないということ。ギャグ漫画的処理に落とし込んだからこそ、これは守りたかった。だからこそ工場のおばさん(これもツッコむべきか迷った)は思考の中で立ち止まる。工場にいるあいだは「工場の人」であり「(子供に対して)大人」だが、それを剥がされるような感覚。そして子供も、別段ボケたつもりではない。悪意もまして他意すらない。ただ、聞いたのだ。そこに〈それ以外〉があることを知っているから。
作品としても、この状況にツッコミを入れないようにした。だからこそ最後、「ここ以外のこと…」というセリフだけのコマになる(というか全体通して引いて終わるシーンばっかだけど)。なにかオチっぽいコマを配してこのシーンを完結させることもできるが、そうしないという意図自体が、〈それ以外のもの〉というテーマと結びついている。
ちなみに前段のシーン「星」のせいでここが干し芋工場になった。元々は特に設定していなかった。
◎茶んた
このシーンは『サチ録〜サチの黙示録〜』を連載中の茶んた氏を参照した。なによりも子供の頭身。クレしん流とも言えるかもしれないが、私はルーツとしてはしんちゃんを通ってきたとは言えないので、茶んた氏および『サチ録』が典拠だ。
そしてギャグ調の持って行き方も、「おばけ」のシーンのうすた京介氏とはまた違う。同じギャグ漫画の系譜にあっても、見せる部分によってこれだけ表現の仕方は異なってくるんだな、と我ながら学んだシーンだった。ロック音楽と一口に言っても多様な方向性があるように。
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