見出し画像

『レース終わってすぐにインタビューするのやめてくれん?』の回

わたしには思うことがひとつある。陸上選手や水泳選手のレースが終わったあとすぐにインタビューするあれ、もうちょっと待ってあげてもいいんじゃないでしょうか。その、出来るだけ興奮冷めやらぬうちにコメントをいただきたいというインタビュアーサイドの気持ちも分かる。でも明らかにみんな、肩で息をしていてしんどそうではないか。もの凄い頑張ったんだから、ちょっとだけ休ませてあげてもいいんじゃないでしょうか。

思えばハァハァ息を切らしている状態はなんだかきまりが悪い。『あっ! もうちょっとで電車が出てしまう!』と思って走り、なんとか飛び乗った車両内でハァハァするときの恥ずかしさよ。『え、なに? いや、別に? そんな疲れてないけど?』と誰にアピールするわけでもなく、無理やりに口を閉じて鼻呼吸にもっていく。けれども口に比べて鼻の穴は小さくて空気が全然入ってこず、余計に呼吸がしんどくなり結局鼻から息をフーフー鳴らしながら肩が上下してしまう始末。もはや周りに息が切れているのなんてバレバレ。変に隠そうとしてる分、余計にダウト☆って感じ。バレないように耐えようとしているのがバレているから、ただ単にハァハァ言うのよりも恥ずかしい。仮に走って乗ったことがバレていないとしても『え? あのひとなんかめっちゃ怒りに耐えてるやん。えー、こわーい』と思われてしまう。だからいっそのこと開き直ろう。「ハァ! ハァ! ハァ! しんどーっ! ハァ! ハァ! そのっ、さっきギリギリや思って、ハァ、めちゃくちゃ走ってなんとか乗ったから、ハァ、しんどーっ! 自分しんどいですー!」と、いま自分がどういう状況なのか別に聞かれてもいないのに説明してしまおう、逆に。コペルニクス的転回よ。

そして、これと同じようにコロナウイルスでマスクをするのが当たり前になってからというもの、マスクを着けたまま階段を登り、登り終わったあとに息が苦しくなるといった目にまあよく会う。息絶え絶えでデスクに座ってすぐに「〇〇さん、これについてなんですけど・・・」と言われても、「いや、ちょっと待って。ちょっとしんどいから。一回休憩させて。息整えたいから」なんて言うことはできず、「はい、ハァ、ハァ、それはですね、フーフー、えー、フーフー」みたいになって大変恥ずかしい。だからちょっと待ってほしいのよ。見て、マスクから漏れた荒い息でメガネも曇ってるやろ?

でもね、あの北島康介の名コメント「気持ちいいぃー!チョー気持ちいい!」も「なんも言えねぇ」も、レース直後じゃないと出てこなかった気がする。一回休憩を挟んでいたら「すごく気持ち良かったです、ハイ」とか「なにも言えないぐらい感動してます、ハイ」ぐらいのテンションに落ち着いていたかもしれない。仮に休憩を挟んだあとにテンションを上げて実際と同じコメントをされたとしても、それはそれでなんだか違う気がする。そう思うと感動には熱が保たれたままの鮮度が大事なように思える。

とはいえ、スポーツ選手の息を切らしたインタビューは、戦い切ったあとであるから別に恥ずかしくもなく、なんなら真剣勝負の激しさの名残りが感じられてカッコいい。一方、電車に飛び乗ってのハァハァは確実に早く家を出れば良かっただけであり、それすなわち自らの過失が招いた結果である。しかし、一番カッコ悪いのは、そんな必死に走って飛び乗った車両内での息を切らした自分の姿を想像して恥ずかしくなり、走れば間に合うのにあえて走らず遅刻を選択する者である。前者は走ってでも乗ろうといった、遅刻してはならないという責任感を感じ取れるが、後者はもう自分のことしか考えていない。周りの目ばっかり気にしている。そのくせ遅刻することは気にしていない。そんなのおかしな話だ。ええ? おかしな話か? だって電車の中で息切らすのはどう考えても恥ずかしいやん。遅刻して迷惑って、ホンマに迷惑がかかるときは走ってでも間に合わせるし。って、そうです、わたしは後者の人間なんです。情緒不安定で申し訳ございません。こんな感じの思考で、これまで走れば乗れていたはずの電車をいくつも見送ってきました。この傾向は今後もしばらくは続きそうです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?