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『美容師の友達が欲しい』の回

美容師の友達がほしい。なぜなら美容師が苦手だから。なぜ美容師が苦手なのかといえば、会話が難しいから。

まず入店して髪型を伝えるのが難しい。正直、したい髪型なんてない。ただダサくなければそれでいいのだ。だから「今日はどんな感じで?」と聞かれたときに本当は「ダサくなくて普通な感じにしてください」と言いたい。でもそれではあまりにも注文がぼんやりしすぎている。かと言って、写真を見せるのもなんだか恥ずかしい。だいたい髪型を調べた際に出てくる写真のモデルがイケメン過ぎて怖い。髪型がイケてるのか顔がイケてるのか、もはや分からない。その顔やったらどんな髪型でもお洒落な感じになるやろと思ってしまう。たまにあるじゃないですか、芸能人だからお洒落に見えるけど、そこら辺の人が着てたら明らかにダサいやろうなっていう服装が。それはないやろみたいな。それと同じことが自分にも起きるんじゃないかと思って選べないのだ。だから実際に写真を美容師さんに見せるときはちょっと恥ずかしい。写真を見せて『コイツえらいイケメンに憧れてんな』とか思われそうで。さらには『正直、自分はこの髪型似合わんで』なんて思われることもあるんじゃないかと、自意識過剰にビクビクしてしまう。だから大抵は「あの〜、前髪は下ろして眉にかかるくらいで〜」みたいにフワッとした感じでしか注文できない。前日の夜にそれっぽい髪型を布団の中で調べて、スクリーンショットまで撮ってきたのに。写真を見せて注文するなんて勇気に溢れた調子のいいときにしか出来ません。

さらには切ってもらっているときも難しい。たまに心のパーソナルスペースにガンガン入ってくるタイプの人に当たると「今日はこのあと予定とかあるんですか?」「いや、特には」「え〜、ガンガン遊びましょうよ! せっかくなんだから〜」という「遊んでなんぼっしょ?」みたいな価値観をグイグイ押し付けられる。いやいや、予定が無いから髪を切りに来てんねん。わたしのようなメンタリティの人間にとっては、散髪それ自体が一大イベントであり、それが終われば今日のミッションは達成したも同然なのだよ。あとは家でゆっくり休みたい。それに、髪を切っているときに渡されるファッション誌。お財布特集のページを見つけ『そう言えば財布欲しいなあ』とその箇所を熟読していると、「お客さん、すごいそのページ読んでますね。そんなにお財布欲しいんですか?」とわたしの頭上から声が降ってくるではないか。やめてくれ、そういう心の内を読まれるのはなんかちょっと恥ずかしいから。だいたい読んでいる本を覗かれるのはなんだか恥ずかしいって感覚はないのか? 電車の中で本を読むときブックカバー付けへん派? 覗き見が許されるのは部活のみんなでジャンプを読むときだけだよ? そもそも髪を切るのに集中せえ。セイっ。まあ美容師さんは会話の取っ掛かりとして話しかけてくれただけなんだろうけど。ごめんね、こんなわたしで。なんだか申し訳無くなってきた。

こんなにもコミュニケーション障害を起こしてしまうから、もういっそのこと美容師の友達がほしい。友達だったら気を使わなくても済む。あれよ、今すでに美容師の人と友達になりたいのではなくて、今すでに仲のいい友達に今から美容師になってほしいんですよ。すでに美容師である方々は、多分めちゃくちゃ明るい性格の人たちで、そもそもわたしがその輝きについて行けないから、もうすでにわたしにフィットしている友人にこれから美容師を目指してほしい。そうなれば細かい注文も色々できるようになる。髪を切り終わって本当はもうちょっと短くしてほしい場合も、今は早く帰りたいから何も言わずに受け入れるけれど、友達が美容師であればもうちょっと切ってほしいと伝えることができる。今回切ってもらった髪型が理想に近いかなりいい出来であれば「これ! この感じ覚えといて! ホンマに! ずっとこれでいいから! 次からずっとこれでいいから!」と伝えることができる。なんなら切ってもらっている間の本にもハンターハンターとかスラダンを持ってきてほしい。切られている脇のテレビでお笑い番組をずっと流しておいてほしい。この快適散髪ライフを実現させるべく、誰か仲のいい友達を美容師にさせるか・・・。わたしのために専門学校の間、チャラい人たちに囲まれることになるけど耐え切ってくれ。卒業したころにはチャラい人たちに染まって、チャラくなって出てこられたら本末転倒やけど。


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