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『YouTube見てたら気づいたら寝る時間になってて宿題できんかった』の回

気づけばYouTubeを開いてしまっている。スマホのアプリマークをポチッと押せば、すぐに動画を見れる環境が整う。読書や勉強よりもハードルが低くて、暇になればすぐにあの赤色の再生マークをポチッと押してしまう。もはや怖い。最近はグーグルクロムキャストを買ってしまい、テレビにYouTubeの動画を投影出来るようになったから、この傾向に拍車がかかっている。動画が終われば、すぐに次の動画が自動的に再生されるのも怖い。受動的に物事がどんどん進むから、楽で仕方がない。関連動画も怖い。最近は、もの凄い精度で自分の興味をそそる動画を勧めてくるから、ついつい押してしまう。もう本当に怖い。気づけば数時間経っているなんてざらにある。ホンマに怖い。『今週の土日はあの本を読もう』と思っていても、1日が終わってみれば、結局YouTubeを見てただけみたいなことになっている。そして1日を振り返ったときに、手元に何も残っていないような虚無感に襲われる。誰かタスケテ・・・。

こんなもんだから、つくづく自分が高校生のころにスマホが今ほど発達していなくて良かったなと思う。もし存在していたら勉強なんて手につかなかっただろう。テスト勉強をするために机に向かったはいいが、ちょっと疲れたな、暇だなという隙間が生じれば、すぐにスマホに手を伸ばして動画を再生していたことだろう。すぐブンブンハローユーチューブしてたに決まってる。お笑い芸人のネタ動画とか、ドルトムント時代の香川のプレー集とか、よう分からんもんで包丁を作るためにひたすら何かを研いでる動画とか、色んな動画を見続けてたに決まってる。

つってもね、悪い面ばっかり注目するのもスマホさんに不公平だと思うわけですよ。科学技術の発達によって我々の生活が豊かになっているのは事実としてあるわけですから。塾に行かなくてもYouTubeの動画のおかげで、塾と同じレベルの教育を受けられるようになった子もいるわけです。なんなら塾とかそういうレベルの話ではなく、知的好奇心豊かな小学生が、YouTube動画を見ることで大学レベルの内容をガンガン勉強していることだってある。これまで、幼い子どもがある物事に対して興味を抱いていたとしても、大人はその子の興味に対してどのように答えてあげればいいか分からないこともあっただろう。それがもはや、正しい(?)使い方をすれば、子どもが自分で自分の学びたいことをどんどん吸収することが出来る時代になったのだ。普通にいい時代ではないか。

つってもね、水は低き方向に流れるがごとく、自分も易き方向に進んでしまうので、冒頭にも書いた通り、YouTubeでは娯楽的なものばかりを見てしまう。そして時間を浪費したときに、ふとこう思うのだ。自分はこのまま特にこれ以上賢くもならずに死んでいくのかと。そう思うともうね、またまた言うけれどね、ホントに怖くなる。今や何を勉強すれば、将来の何に繋がるのかも分からない。それでも毎日頑張って勉強していた中高時代を思い出すと、今の自分も何か勉強しなければと思うのだ。ただ、闇雲に勉強していたあの頃の未来が今に繋がっているのだとしたら、暗澹たる思いが胸の中に広がってくる。自分は一体、何がしたくて、何をしているのだろう・・・。ああ、暗い気持ちになって塞ぎ込んでちゃダメだ。こういうときは、お笑いを見て元気を出そう。元気だから笑うのではなく、笑うから元気になるのだ。よしっ、そうと決まれば、YouTubeのボタンをポチッとな。


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