料理をするとき

誰かと一緒に暮らしている人たち、本当にすごいと思う。

同性とのシェアハウスでも恋人との同棲でもどっちでもいい、とにかく「誰かに料理を作る」日常に在る人たちは本当にすごいよ。なんというかこう、抱えきれないほどの自信を持って生きていってほしい。

私は料理が苦手だ。
いや、料理自体はできるのだが(「できる」というのは「仕事ができる」とかの文脈で使う「できる」ではなく、あくまで 「可能不可能で言えば可能」ということ)、誰かに提供する前提の料理がかなり苦手だ。


まずは反応が気になる。

みんな大人だからまさかまずいと面と向かって文句は言わないだろうし、正直私だって自分がトンチンカンな味の料理を作るとは思わない。味が濃いとか薄いとか、もうちょっとあれを加えればよかったなとか、見た目度外視で考えたらせいぜいそんなものだろう。

ただ、これは私のものすごくワガママなところなのだが、

無反応だとおそろしいけど、
おいしいと言われたら言われたでどう反応したらいいかわからないのだ。


だから私は誉め言葉が聞こえても気づかないふりをしがちだったし、
いやそれはよくないだろ...と思い直してからは無視こそせずとも「え~やった~~~(棒読み」くらいのことしか言えない。あとは「ふふふ」とか「ははは」とか訳もなく言っちゃう。冷静に考えて何が笑えるんですかね。

だから私はこの複雑な感情に陥るのを防ぐため、持ち寄り式のパーティーでは自分の料理に積極的に箸をつけがちだ。
あまりあからさまだとそれはそれでアレだけど(?)、やっぱり人様の口に自分の作った食べ物が運ばれるのって相当ソワソワするから無意識のうちにその機会を減らそうとしてしまう。だから自分の持ち込んだ料理が減ってるとね、「イエ~イ売れ行き好調じゃ~~んまあ自分で消費しまくってるし当然なんですけどねははは」って感じなわけです。ははは。あ~~なんで楽しい集まりの場で感情のこもってない笑い方しまくってんだろ。

こういうことを書くと、料理が完成した後さぞかし味見とかしてそうだが、逆に私にはそれができない。味見しないから、もしかしたらすごい微妙な料理を振舞ってしまったこともあったかもしれない。
どうして味見ができないかというと、誰かの口にその料理が運ばれた時の疑似体験をしているようで恥ずかしくなるというか、「誰かが私の料理を食べるのを見た、それと同時に今口の中で広がっている味がリアルにわかる」この状態が!!!!!!!無理なんだよ!!!!!!!いや勝手なこと言ってないで普通にマナーとして味見しとけよって感じですね!!!!!!!


さらに言えばこういう問題抜きにしても、手作りって重そうで心配。持ち寄り式の集まりならみんなが作ってくる前提なのでいいだろうが、一方的に自分の思い付きで作る場合が特に。

このあいだ落ち込みまくっている友人になにかポップな見た目のお菓子作ってあげようかなと思って実際作ったけど、どんなにサラっと渡したって「自分のことを考えて作ってくれた」というのは重い。できあがった瞬間急に心配になってきて(何がだよ)、結局自分で食べてしまった。
むなしかったし、しかもそれ3回もやったから(毎回むなしさのなかで我に返って「いや、やっぱり相手に渡るべきだったんだ...」と思い直して再挑戦した)めっちゃ太ったんだバカでしょ。ははは.........................................................


ということで最初に戻るが、

誰かと一緒に暮らすなかで、相手に料理を作る場面がある人たちはすごいと思うのです。
これを日々やっているわけだし、作ってもらうほうもそれはそれで気持ちが難しいだろうなと感じるわけだ。うん、よく考えたら私、作ってもらった時も正解がわからなくて、無反応を試したこともあればおいしいって言ってみたこともある(相手の目を見るバージョンも見ないバージョンも両方)けど結局何がベストか分からなかった。人によるのか。きっと人によるし、同じ人でもその時の気分によるかもね。難し!!!!!!!

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