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自分以外の何者かにさせようという社会システム

  こんにちは。いきなり前回の更新から3週間が経っていました。ストックのアイディアや記事はあるのですが、そこからきちんと書くには一つ段階が必要なようです。

 本題に入ります。

 現代社会は、ありとあらゆる方法でその人らしい生き方をさせないようになっていると思われます。まさに人を支配する人たちにとっては非常に効率よいシステムができています。長い歴史の中で、少しずつ飼いならされ、あるいは洗脳され、あるいは催眠にかけられてきているのです。風の時代の到来によって、少しずつ「目覚めている」人が増えているように思われますが。

 20歳のころ「人生の悲劇は良い子に始まる」という本を読んだことがあります。アイデンティティ獲得に悩んでいた青年時代のほろ苦い思い出ですが、つい最近その著書名を思い出しました。

 現在、私は都内のスタジオで演技講師をつとめておりますが、成長に伸び悩む生徒さんの大半が「自分以外の何者かになろう」と一生懸命になっているように思えてなりません。自分を含めた人間を俯瞰して見て、「自分でない何者かにさせよう!という社会システムの中で自由に生きようという個人にとっては、非常に生きづらい世の中だ」と冒頭のような想いを久しぶりに抱いたのです。

 ここで、役者・俳優は「“自分以外の誰か”になるのが仕事ではないか?」と思われる方もいらっしゃると思います。ですが、俳優も結局は人間です。自分以外の何者にもなれないのです。どんな役を演じていても“その人間性”は透けて見えるのです。いきなりの核心ですが、俳優の仕事は登場人物を演じることで物語を伝えることです。だからこそ、物語の世界に生きる必要があります。そこに生きるためには、余分なものをそぎ落とす必要があります。じゃあ、余計なものとはなに? という単純な質問が出てくると思います。

 ここで思い出して欲しいことがあります。自分自身の幼い頃を。

 なにかになるのは、ほんの一瞬の出来事ではなかったでしょうか? ウルトラマンになるには、鉛筆かシャーペンがあれば十分。仮面ライダーにだってすぐになれました。自転車はあっという間にバイクに変わっていました。30代の女性なら、当時はあっというまにセーラームーンになれたでしょう。子供の純粋な心と想像力は一瞬にして変身を可能にしてくれました。彼らの想像力と信じる力の偉大さは、私たち俳優にとってはお手本中のお手本なのです。

 演技の訓練は、成長するにしたがって身に着けていった「社会性の仮面」を剥ぎ取る作業なのかも知れません。だからこそ、長年被り続けた「仮面」に気づく必要があります。そして、意図的に「外す」必要があるのです。ここには「痛み」を伴います。教育や躾によって「自分だと信じている自己イメージ」を壊す必要があるからです。ある意味、古い自分という一つの自我が崩壊、あるいは死んで生まれ変わる必要があるのです。講師の経験上、このプロセスで脱落する人が非常に多いです。いわゆる「ネガティブ」だと思われている否定的な感情や側面を表に出したがらないのです。そして、笑いや優しさなどの「ポジティブ」な側面だけで人とつながろうとするのです。ですが、物語の登場人物も人間です。喜怒哀楽すべての感情を持っているのです。しかし、このプロセスを超えて、自分の否定的な感情も受け入れることができるようになると、その人は「自分自身の殻」を破って成長することができるのです。そして、その人が「本来持つ人間性」が見えてくるのです。そんな時は「とても美しい瞬間」に立ち会える喜びを感じます。そして思うのです。もしかしたら、「演技は“自分を取り戻す”プロセスになり得るのではないか?」と。

 そして、私自身も演技によって「救われた」人間の一人だと思っています。そんな筆者、私が演技と人間と心理学(独学ですが)等についてマニアックなことを書いていくブログになると思います。

 お付き合いいただければ幸いです。

 善い一日を!


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