パンドラの箱について考えてみた
noteはマニアックなことだけ書いていこう❗️
そう決めました。
文体も、そんな感じになります。
ご容赦を。
先日、ワークの感想で「パンドラの箱を開けたみたい」という言葉を頂いた。
その通りだと思う。
以前別のところで、「パンドラの箱を開けるWS」と銘打って宣伝をしたこともあるくらいだから、正に❗️である。
言わずと知れた「パンドラの箱」。
箱を開けると沢山の悪魔👿が出てくる。
これがワークで言うところの「心の闇」で、
最後に残っている「希望という光」は、
ワークでいう「真実=NEED」になる。
そこまではずっと前から考えていた。
今回考えたのは、「箱」について。
中に入っているものを制限している意味では、「社会」なのかな?と。
中を決めるというか定義する意味では「社会規範」の方が厳密な感じかな。
この社会規範が中身を「闇」と規定している。
箱がなければ、「闇」もない。
そうなると「光」もないのだが。
またふと思う。
箱=人間か?
器次第で中身も変わる。
外見はもちろんパブリックペルソナ。
でも、「本質は内にある」ものであって、善悪もなく、正しいとか間違っているとかもない。
箱は制限🚫でしかないのかな?
そんな取り止めもないことを考える土曜日の午後。
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