見出し画像

お誕生日、おめでとう

数日前、知り合いのチビちゃんが自分の誕生日に『ねえ、7年前の今日、ボクは生まれたんだよね!それってすごいことだよね!』と言っているのをインスタで見た。

彼はとってもナイスガイで素敵な子なんだけれど、それを見た時、思わず下を向いてしまうくらいの衝撃を受けた。この子はたった7歳で自分の生まれた日を祝福してる。もうあんまり思い出したくもない思い出が浮かんでくる。ああ、この違い。穴があったら入りたい。。

私は兼業農家に生まれた。誕生日はGW期間中なんだけど、田植えの真っ最中だったから、お祝いした記憶があまりない。ケーキくらいは買ってもらったことがあるけれど(なかったことも多いけれど)、みんな早朝から田んぼで働いて疲れて帰ってきて、まだ明日も明後日も田植えは続く。だから、誕生日は添え物みたいな感じだった。もともと誰の誕生日も特別な何かをするような家ではなかったから、当たり前と言えば当たり前なんだけど、GWは前後も含めて田植えしかしてなくて、連休だからと遊びに行くことも、誕生日だからと自分が主役になることもなかった。忘れていたけれど、改めて振り返ってみれば、それが嫌だったことも薄っすら覚えていた。

誕生日は普通の日。特別じゃない。

ずっと、そう思ってきた。興味がない、ということになっているせいか、他人の誕生日を覚えるのも苦手ですぐにあやふやになってしまう。友だちや恋人が誕生日のお祝いをしてくれた時も、さして嬉しくもなくて逆になんかイヤだなあと思っていたし、ひどいときなんて恋人に聞かれても、恥ずかしくて自分の誕生日を言えなかった。相手は特別なお祝いをしたいとワクワクしてくれていたのに、それを受け取る自分が想像できなくて、わざとすごく素っ気なくしたりしていた。

思い出すと、今もちょっと胸が苦しい。やった時はそうでもなかったことが、ブーメランのように戻ってくるのは気持ちのいいものじゃない。

今でも、あのときのことを思うと、申し訳なくなる。相手がすごくがっかりしたことも知ってるし、おーい、なにやってんだ、私、と背中を押してやりたくなる。誕生日にそんなにこだわらなくてもいいんだよ、と言ってあげたい。こだわってないつもりであんなにこだわって、未だに申し訳なくなるって、なんだそれ。

でもそれは単に性格なんだと、つい数日前までは思っていた。あれは私の性格。だから、申し訳なかったし、思い出したくない苦い思い出だけれど、ちゃんと謝ったし、もう同じことはしない。だから時効。

そう思っていた。

んだけど。

先日の7歳のお誕生日コメントを見て、一瞬で引き戻された。自分の誕生日を自分で祝福できない=意図的にしない私は、つまり、自分自身を祝福しないと決めていたんだ。ふう。なんてことしてたんだろう。

相手に申し訳ない、の前に自分に謝るべきだった。

私はずっと、誕生日を祝って欲しいとか、祝ってくれないとか文句を言っている人たちが苦手だった。へんなのーって思っていた。だからそうならない自分を選んだつもりだったけれど、純粋に自分の誕生日を自分が祝っていたなら、うっかり人に伝えてしまうことだってあるし、いいかどうかは別としてもお祝いしてほしいと願いを人にぶつけることも自然なことだ。他人からの祝福だって全身で受け止めて、全身で還していくだろう。その純粋さには気がつかないフリをして、あの人は自分のことばっかり言ってる、と批判だけしてた私を、7歳の彼は見つけて、そして変えてしまった。

私が自分の生まれた日がすごいと思ったのは、彼がただ純粋に自分が生まれてきた日をすごいと思い、これまでの自分をすごいと思っていることを感じたからだ。彼は言っていた。『誕生日ってすごいね、昨日までのボクと誕生日からのボクは全然ちがう』と。

で、私は思った。そうだ、自分の生まれた日はすごい。だって、私が初めて世界を感じた瞬間じゃないか。

7歳の彼がみんなに愛されるナイスガイな子だから、それがあるわけじゃない。誰にでも同じようにそうなのだ。ただそれを自分が受け止めるかどうかなだけで、それは誰にでもある。

もちろん、私にも。

来月、私の誕生日がやってくる。いまはまだ気がついたことの大きさに体がかたまっているけれど、今年は素直に誕生日に向けて準備してみよう。私の生まれた日。別になにもなくてもいいけれど、否定せずに、ただ誠実に向き合ってみよう。

生まれて初めての誕生日を、私は7歳の子にもらったんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?