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おひげ、自力ごはんにたどり着く

どんどん変わってく仔猫たち。こうしてログをとっていると、一日というのがすごく大きくて大らかな単位であることに気が付く。小学生の頃、日記を書こうと思ってもなーんにも書くことがない、と思っていたけれど、あれはあまりにいろんなことがありすぎて、書こうと思うことをうまく抽出できなかっただけだったんだな。言葉も知らなかったし、そもそも日記を書く意味を誰も教えてくれなかったので『イヤイヤややるもの』だと勝手に思ってた。徒競走とか。ほんとは楽しいのなー。今は分かる。たとえばこの仔猫たちのログは、私と彼らの成長記録。

5日目の夜、これまでチュッチュをしている最中に誰かが手であげないとごはんを食べなかったおひげが、チュッチュしてない場所においた浅いお皿にそそっと近寄って、自分で勝手にごはんを食べた。

喜びが静かな感動となって広がった日。

ほんとになんにも食べずにただひたすらチュッチュしていた時は、ごはんを食べたくないんじゃないかと思っていたけれど、おひげにとってはチュッチュ=ごはんなんじゃないかと思いついて、丸一日、はりつくようにしてチュッチュさせてはごはんを差し込み続けたら、ごはんを食べるってこういうことかぁ、と、気がついた感じ。チュッチュしてもおなかはいっぱいにならない、ということがわかったんだ、ということが非常に嬉しい。やったね、おひげ!

食べる、って本能的なことで、健康なら誰でも自然にできるものだと思っていたけれど、みんな同じように理解してるわけじゃないんだ、というのは発見だった。いのちって然るべき時に然るべき成長をするようになっているというけれど、この子は然るべき時の成長をすっ飛ばさないでちゃんとやったんだなーと思った。子ども時代をちゃんとやってるから、いい子に育つに違いない。いや、大なり小なり、みんなこういうことってあるんだろうな。おでこだってお赤ちゃん還りしてたし、掴むための紆余曲折もそれぞれ。個性が光るのだ。

やり遂げた本人も、並走したおでこも誇らしかった。ものすごく感動したけれど誰と共有するでもないから、ここにこうして書いてるんだけど。

チュッチュごはんからお皿への目覚めまで、時間にすると丸っと一日半くらい。オチビたちの時間は濃密で猛烈だ。見ていて飽きない。余計な手を出さないように注意してるつもりだけど、さてどうかな。

そしてこれ以降、おひげは置いてあるお皿から自分でごはんを食べるようになった。

食べたい時を逃さず自分で食べられるように、浅いお皿にごはんを入れて、おでこと二つを並べて置く。持参したお皿は深すぎて食べにくそうなので、お豆腐の容器を浅く切ってお皿にした。少し大きいので、二匹が一緒にごはんを食べることも、いちおう、できる。激しかった偏食もかなりマシになて、パウチのごはんを食べるようになり、茹でた魚じゃないと見向きもしない、もなくなった。数種類のごはんを並べておくと、なんとなく順番に食べたりもする。似ているように思うウエットフードでも、どうやら匂いや大きさ、水分量などでその時、食べられるものが違うらしいんだけど、それもその時々で変わっていっている様子。

食べれば食べ多分だけよく動き、好奇心もどんどん旺盛になって、仕事をしていると遊んでほしいと呼びにくるようになった。自分から膝に乗ってくるようになった、と思ったら、毛布でしかしなかったチュッチュを人の服でもするようになり、チュッチュでその気になったからごはんを食べさせて、と要求もする。

環境に慣れたことも大きいと思うけれど、ごはんを食べるようになってからのおひげの成長があまりに著しくて目をみはっている。一日に何度もおでこと二人で運動会やプロレスを開催しているのだけど、これがけっこう激しくて運動量がすごい。あと2週間もしたらどうなっているのか、部屋の中が不安になってきた…。まあ、嬉しい不安ではあるけれど。

そうかー。自分でごはんを食べるってこんなにすごいことなのね。

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