見出し画像

カトリック学校と教育改革について考える

 Salt運営員会委員の有馬です。
 先生方は1学期を終えて、ご自身の授業や行事、校務分掌などの振り返りをされているところでしょうか。
 夏休みに、いつもと少し視点を変えて、「カトリック学校とは何か?」ということを考え、同僚の先生方と共有するためのヒントになりそうな記事を、いくつかご紹介します。

 初回のテーマは、「カトリック学校と近年の日本の教育改革」です。

 奈須(2017)によると、新しい学習指導要領の改訂作業においては、学習する子どもたちの視点に立って教育課程が見直されました。その結果、「何ができるようになるのか」(目標論=学力論)を上位に置き、「何を学ぶのか」(教育内容論)と「どのように学ぶのか」(教育方法論)を、その目的の実現の手段として位置づける構造となったと考えられています。教科の内容の習得それ自体が教育の最終目標ではない、ということに言明した点に、これまでにない新しさがあると言われています。

 「何ができるようになるか」に焦点を当てる教育改革について、「その基本的発想は、かつて多くのカトリック学校で試みられた『プロファイル作り』の考え方と重なるところがある」(髙祖 2012: 3)との見方があります。
 「かつて多くのカトリック学校で試みられた『プロファイル作り』」とは、アメリカのイエズス会の中等教育学校における教育改革を参考にした取り組みです。アメリカのイエズス会学校では、教育改善のプロセスとして、「高校卒業時における卒業生プロファイル」を作成しました。「プロファイル」の作成は、「教師として自分が何を教えたいのかという教師中心の発想から、自分たちの手を通してどのような子ども・人間に育っていってほしいのかという、教育成果重視への視点の転換」(髙祖 2012: 6)だったといいます。

 この180度の視点の転換は、到達目標としての「子どもの姿」から個々の教育活動とその全体を見つめ直し、教師の意図と成果とを結びつける道を開く。例えば、とかく高邁な言葉や「画餅」に止まりがちな建学精神や教育理念を、卒業時の「子どもの姿」という(できあがった大人の姿ではなく、成長途上の若者の)「手の届く目標」に据え直すことが可能になる。この手の届く目標を実現するという観点から、授業・総合的学習・宗教や道徳・課外活動・学校行事などの中身とそれら相互の関連や、カリキュラム全体の体系性を見直すように導かれ、同時に評価についても、単なる試験の点数や偏差値を超えて、卒業時の「子どもの姿」を基準にして測ることが可能となる。

髙祖敏明「教育改革のチャンスを活かせるか」『福音宣教』2012年12月号、2012年、p. 6.

  この「教師の意図中心から生徒・学生の学びと成長を重視する方向」への質的転換には、「教育課程の体系化、教師間の連携と協働、全学的マネージメントの確立などと連動し、改革サイクルが全体として回されて初めて実現され」ます。(髙祖 2012: 8-9)。

 「学生・生徒が何を身に付けて卒業するのか」を発想の基点に据えて、大学も中学校・高校も自らの建学の精神や教育理念を具体的に教育活動に活かし、改革サイクルを回して教育プログラムを展開されていることが期待されている」現在、カトリック大学やカトリック中学校・高校にとっては、相互に連携を深めて「世界に開かれ、人類に奉仕する」学校に進化するチャンスであり、チャレンジの時である」(髙祖 2012: 9)とも言えるでしょう。

 夏休みが明けたら、まずは近くに座っていらっしゃる先生方と「この学校を卒業するときに、どのような生徒に育ってほしいだろうか?」ということについて、話してみませんか?

〇参考文献
伊庭澄子「聖心女子学院生18歳のすがた(プロファイル)―基本的考え方」  『カトリック女子教育研究』第1号、1992年、pp. 29-36。
髙祖敏明「教育改革のチャンスを活かせるか」『福音宣教』2012年12月号、2012年、pp. 3-9。
仲野好重「聖心女子学院の教育がめざす「18歳のすがた」―教育方針を柱にした新プロファイル―」『カトリック女子教育研究』第15号、2009年、pp. 1-25。
奈須正裕『「資質・能力」と学びのメカニズム』東洋館出版、2017年。
山縣喜代「『聖心女子学院生18歳のすがた』の作成経緯と活用の試み―建学の理念を教育現場に生かすために―」『カトリック女子教育研究』第1号、1992年、pp. 37-57

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?