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断髪小説『彼の隠し事 後編』

あらすじ

彼に同棲の話を出した途端、忙しいからと会えなくなった。理容師でもある彼の胸の内は。

小説情報

文字数  :11,036文字
断髪レベル:★★★☆☆
キーワード:理容師な彼、床屋、刈り上げ、前下がり、シェービング、うなじ
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本文

 床屋までの道を覚えたようで、今日は駅から十分とかからずに辿り着いた。

 床屋の前には昨日のフラッシュバックかのように、大和やまととショートヘアの女の子がいた。

――タイミング、悪……

 見ている角度が違うくらいで、昨日と全く同じ光景だった。閑静かんせいな住宅街で交通量も多くないので、聞き耳を立てれば、話し声も聞こえた。女の子の声が高めでよく通っていた。

「ご……めん、助かった……」
「……、気をつけろ……」

 大和から女の子に何かを渡している様だ。何を話しているのか聞き取ろうと、無意識に少しずつ距離を縮めていた。

「……帰ってから気付いて……よかった。……心地が……」
「……大事なら忘れていくなよ」
「わざとじゃ……!相変わらず大和は厳しいなぁ」

――え? 今、大和って、呼び捨て?

 段々とはっきり声が聞こえてくる様になる。

「そっちこそ、抜けてるな」
「もぅっ! ねぇ、お店もう終わりだよね? お礼にご飯おごるよ!」

 女の子が大和の腕を掴んで、グイグイと引っ張っているようだ。

――何で大和の腕を……?

「今日はちょっと……、え?」

 大和がふいにこちらに視線を向けてきた。ヤバいと思った時にはもう遅かった。大和とばっちり目が合っていた。気付かないフリをしてやり過ごすのはできそうになかった。

亜子あこ?」
「え、あっ……」

 なぜか声を上げることも立ち去ることもできなかった。金縛りにあったかのように立ち尽くしていた。



「なになに? 大和の知り合い?」

 それなりに時間が経ったのだろうか。沈黙を破るかのような、高めの女の子の声にハッと我に返った。

「あぁ。彼女」
「えぇ!? うそっ。本当に居たんだ……」

 大和は女の子の腕をパッと振り解いて、こちらに声をかけてきた。女の子のこちらを見る視線も突き刺さるようだ。

「どうかした?」
「え、あ、その……たまたま通りかかって」

 何とも苦しい嘘だと自分でも思う。こんな時間にしかも閑静な住宅街へ、一体何の用があったというのだろうか。辺りは暗い。大和も怪訝けげんそうな顔をしている様に見える。

「ほ、ほら、そこの喫茶店をネットで知って、試しに来てみたら、大和が床屋から出てきて驚いて、それで」

 勢いで思いついた事を口に出していた。口から出まかせもいい所だった。嘘をつくのが下手だと自分でも思う。

「ねぇねぇ、大和。彼女、紹介してよ」

 女の子が大和の着ている白衣の袖を引っ張って、声を掛けている。気安く大和に触れる女の子にモヤモヤしたものが募り、眉間に力が入ってしまう。

「アサヒ、離せって。俺、まだ仕事中だから今度な。そろそろ帰れ」

 アサヒとは女の子の名前らしい。大和がアサヒの手をバッと振り解いていた。

「ちぇー、いい話のネタだと思ったのにな。わかったよ、もう行くよ。またね、大和」

 アサヒと言われた女の子は大和にひらひらと手を振って、こちらに向かって歩いていた。駅に向かうのだろうか。

「あなたみたいな人が彼女なんて、大和の事、何も知らないんだね」
「え?」

 擦れ違った瞬間、クスリと嘲笑あざわらうかの様に言われた。後ろを振り返って女の子の後ろ姿を見つめた。彼女の髪は女の子にしてはかなり短く、男の人のように刈り上がっていた。やけに目についた。



「何か用事?来るなら連絡くれればいいのに」

 大和から声をかけられた。

「え、あ、その久しぶり。元気そうで良かった」

 無理矢理、笑顔を張り付けて、意識して明るめの声を出した。そうしないと、あのアサヒという女の子の事とか最近会えない事とかを、この場で問い詰めそうだった。

「まぁ、そりゃあ元気だけど。……最近会えてなかったけど、亜子は?」
「へ? ……う、うん。変わらず元気、だよ。し、仕事忙しそうだね」

 しかし彼の普段と全く変わらない様子に拍子抜けをした。まるでやましい事なんて無さそうだった。そして何よりストーカーみたいな事をしている自分が後ろめたかった。

「あぁ、まぁ、それなりに」
「…………」
「…………」

 お互い言葉が続かずに沈黙が支配する。

「……特に用がないなら店に戻るな。気を付けて帰れよ」

 彼は沈黙が気まずかったのか、それだけを言ってくるりと背を向けて店に入ろうとしていた。折角、久しぶりに顔を見て話が出来たのに、離れていこうとする彼の背中が悲しかった。無意識に大和の後ろ姿を追いかけて、手を伸ばして、彼の白衣の裾を掴んでいた。

 彼はピタッと止まって、振り返ってきた。

「何? どうかした?」
「あ、えっと……。私の髪を切って」

 咄嗟とっさに口を突いて出た言葉だった。離れたくない口実みたいなものだった。

「……は?」

 彼は眉根を寄せて、訳が分からないと言った様子だ。そりゃそうだろう。何年もずっと決まった美容院に行っているのは彼も知っている。

「いつもの美容院があるだろう。」

 思っていた事をそのまま彼に口にされた。

「そうなんだけど……」

 まだ一緒に居たい、と続く言葉を口に出すのは躊躇ためらわれた。昨日、忙しいと連絡は貰っていたし、彼はまだ仕事中だ。わがままを言っては迷惑なのも分かっている。何も言葉が続かずに俯いたまま言い淀んでいると、彼が口を開いた。

「とりあえず、店に入って」

 白衣の裾を掴んでいた手を引き離されて、彼の手と繋ぎ直された。そのまま店に招き入れられた。



 床屋に入ったのは初めてだった。美容院とはまた違う整髪料みたいな匂いがした。閉店間際みたいだ。タイミング良くお客さんは誰もいなかった。

 五十代くらいの白衣を着た男性が店の奥の椅子に座って、雑誌を眺めていた。

「大和くん、おかえり。……えと、お客さん?」
「彼女の亜子です。たまたま近くに来たみたいで」

 アサヒにもだが、彼女と当たり前のように紹介されて、どこか気恥ずかしい。店主らしき人が椅子から立ち上がって、こちらに向かって歩いてきた。

「へぇ、どうも初めまして。店主の柳瀬やなせです。いつも大和くんにはよく働いてもらって、助かってます」
「え、あ、こちらこそ。大和がお世話になってます」

 ペコリと頭を下げた。突然の訪問で迷惑ではないだろうかとチラリと顔を上げて、店主の顔色を窺う。温和そうな顔で、穏やかな雰囲気だが、観察するような視線を向けられていた。

「成る程ね。確かにらしいよね」
「あ、あのぅ……」

 大和の背に身を隠した。初対面の人にまじまじと見られるのは居心地が良くなかった。

「ごめん、ごめん。さすがに失礼だったね」

 パッと人懐っこい笑みに変わっていた。

「あ、いえ」
「さてと、今日は少し早いけど閉店だね。客ももう来なさそうだ。僕は帰るから、大和くん、戸締りよろしくね。お嬢さんもまたいつでも遊びに来て下さいね」
「はい。お疲れ様です」

 店の奥へと入って、暫くすると裏口から出て行った様だ。店には二人きりになった。



 大和は店の外に出て、外看板を店の中に入れたり、シャッターを下ろしたりしている。本当に閉店をする様だ。

 待合の椅子に座って、お店の中を見渡す。

――ここが大和の働いてる場所なんだ

 床屋に入ったのは初めてなので、目に入るものがどれも新鮮だった。いつもの美容院とは勝手が違った。椅子はマッサージチェアみたいに大きくてゴツいし、椅子の目の前には何故か洗面台が付いている。

――目の前に洗面台って、どう使うんだろう

 詮ない事を考えていると、大和が閉めかけたシャッターの下を潜って、店に戻ってきた。

「で、本当に髪を切るの?」

 目の前に大和が立っていて、こちらを見下ろしていた。

「もう閉店でしょ?」
「別に髪を切るくらいならできる。」

 彼の口調はぶっきらぼうだ。いつもの事なので慣れてはいるが、今日はどこか距離を感じるのは気のせいだろうか。やはり彼の表情からは何も分からない。

『大和の事、何も知らないんだね。』

 ふいにアサヒが言った言葉が頭の中によぎった。

「うん。お願い」

 気付けばそう答えていた。彼は一つ息を吐いて、「こっちに座って」とカット椅子へ案内をしてきた。少し不安だったが、勧められた椅子に腰を下ろした。



「どうする? 揃えとく?」
「……ねぇ、私に何か隠してる?」
「は?」

 怪訝けげんそうに眉根を寄せている。今日は何度、この顔を見ただろうか。

「さっき言われたの。……その、大和の事知らないんだねって」

 まるで告げ口みたいだ。少しバツが悪い。

「……」

 大和は黙っている。というか困っている様子だ。珍しかった。あまり表情が変わる人ではない。

「……心当たりがあるの? 私には言えないこと?」
「……そうじゃない。」
「じゃあ、なに?」

 さっきからドクンドクンと心臓がうるさい。

「それは……」

 何か安心することを言ってと願いながら、鏡越しに彼の表情をうかがう。最初は言い辛そうな表情をしていた、と思っていた。鏡越しに目が合うと彼はふっと一笑して、挑発的な目に変わっていた。

――えっ?

 どういうことかよく分からなかった。

「亜子、髪を切っても良いんだよな? なら体感する?」

 彼は私の髪を一房持ち上げて、横目で一瞥いちべつしている。その様子に背中が粟立あわだった。

――なに……、これ。

 肉食動物に捕捉された小動物のような気分だ。

「知りたいんだろう? 説明するより見たほうが分かりやすい」

 ゴクリと生唾を飲んだ。断れそうにない、そんな空気だった。首を縦に振っていた。



 目の前にある洗面台でシャンプーをされる。顔から洗面台に突っ込むのは、なかなかに戸惑った。想像できない使い方だった。

 シャンプーをされている間に色々と頭の中で状況を整理する。

――私の知ってることって

 思いつく事を頭に浮かべた。口数は少なくて、表情もよく観察しないと読み取れない。言葉遣いはちょっと荒い、コーヒーはブラック、和食派、卵焼きは出汁巻き、寝つきも寝起きも良いし、寝相も悪くないが、仰向けで眠れないとかだ。

 そうしていると一つだけ確証めいたものが思い当たった。

――大和はうなじフェチだよね。

 シてる時にうなじとか耳に執拗に触れてくる。それを敢えて言及はしてこなかった。

――髪を短くされちゃうのかな

 ドクンと強く心臓が跳ねた。アサヒのような男の人みたいな短いショートヘアにされてしまうのかと不安が広がった。肩より短くした事はなかった。

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