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断髪小説『好奇心の果てに』

あらすじ

ころころと自由に髪型が変わる夫は自分とはまるで正反対。疑問に思った妻の一枝かずえが夫に話を聞く内に、夫の興味は妻の髪型へと移っていくお話。

小説情報

文字数  :4,218文字
断髪レベル:★★★☆☆
キーワード:夫婦、家庭散髪
項目の詳細はこちらをご覧下さい。

本文

 夫は自由だと思う。髪が伸びれば切る、それ自体は当たり前の事かもしれない。大多数は床屋に行くのだと思う。夫はその時の気分によって変わる。気になって仕方ないのか、突然自分で切ったりもするし、普通に床屋に行く日もある。

 そして時には、妻である私に切らせたりもする。何ら技量がある訳ではないので、バリカンで坊主にするしかできない。

 坊主になっても夫は文句一つ言わないし、いつもと変わらない態度だ。彼にとってはたかが髪なのだろう。その感覚が私とはまるで違うものだった。

 自分の髪は大体肩下十センチくらいのミディアムヘアだ。前髪は長めにして横に分けている。多少の長さの違いはあるにせよ、長年この髪型だ。髪型を変えるのは自分が変わるみたいだし、周りからの印象も変わりそうで中々できなかった。伸ばす事も短くする事もなく、もうずっとこの髪型で過ごしている。



 ある休みの日、夫は出かけてくると言ってどこかへ出ていた。家に一人でいても退屈なので買い物にでも行こうと自分も外へ出た。書店で新刊を購入し、スーパーで適当に安くなっている食材を仕入れて家に戻った。玄関を開けると夫の靴があった。どうやら短時間の外出だったらしい。リビングへ続く扉を開けた。

「ただいま、早かったのね」
「あぁ、床屋に行っただけだからな」

 夫の髪はかなり短くなっていた。つい数日前に自分で切っていた様な気がする。スーパーで買って来た食材を冷蔵庫へしまう。

「この前、自分で切っていなかったっけ?」
「なんかしっくりこなくてな。気になったから行ってきた」

 夫なりに何か感覚があるのだろう。コロコロと髪型を変える方が自分にとっては落ち着かない気がする。コップにお茶を二人分注ぎ、リビングへと持っていく。リビングにいる夫の隣に座る。

「髪型を変えるのって落ち着かなくない?」

 前々から疑問だった。でも後から思えばこの質問をしたのが運の尽きだったのだろう。

「そうか?気になったらやってしまいたくなるからな。そのままにする方が気持ち悪い」
「ふぅん。そういうものなんだ。床屋に行ってスッキリした?」

 やっぱり自分とは全然違う感覚みたいだ。

「うーん。今日は短くなりすぎた気がする」

 夫は自分の髪を手で触っている。全く落ち着かない訳ではないらしい。

「後悔してるの?」
「いや。今日行かなくても、気になって仕方なかっただろうからな」
「へぇ、そうなんだ」

 お茶をコクリと飲む。

「今日はやけに聞いてくるな」
「そう?」
一枝かずえは変わらないもんな。ずっと同じ」

 夫が私の髪に触れてくる。夫に触れられるのは嫌いじゃない。撫でられている猫もこんな気分なんだろうか。

「そうね。変えるのは勇気がいるよね。いつも同じ方が安心する」
「案外やってしまえば、こんなもんかって思う気がするけどな」
「変えて欲しいの?」
「どうかな。強要するのは趣味じゃないけど、一枝の短い髪型は見てみたい気もする」

 夫から望まれるなら短くするのも良いのかもしれないと思ったが、それを言う勇気は持てなかった。

「短くするのは怖いから」
「何が怖いの?」
「自分が変わってしまいそうだし、周りからの反応が怖いかな」
「髪型が変わっただけだろう。そんな事を考えていたのか」
「そうじゃない? 見た目が変わる訳だし」
「ふぅん。分からないもんだな。俺のことは平然と坊主にするくせに」
「あれは、あなたが私に切ってほしいって言うから。坊主にする以外はできないよ」
「分かってるさ。な、今から短くしてみるか?」
「え? 何を突然」

 この人は突然、何を言い出すのか。そんな話ではなかったはずだ。

「内心は短くしてみたいんじゃないかと思ってさ」
「そんな訳ないでしょう?あなたが短くしてみたくなっただけでしょ」
「そうだな。好奇心は猫をも殺すだよ」
「んん?」

 すごく嫌な予感がする。夫が今している顔は間違いなく逃げられないパターンだ。

「俺、気になったらやらないと気が済まない質でね」

 ニッコリと張り付いた様な笑顔で言っている。これはヤバいやつだ。

「ま、まさか、本気?」
「うん。本気。」
「嘘でしょ!!」



 何でこうなったのだろうか。そんな事を思っても後の祭りだ。今、自分は椅子に座って何故かケープ代わりにとビニール袋を被されている。夫は背後にいて、自分の髪を櫛でとかしている。

「ちょっと、本気で切るの?」
「もちろん。一回やって嫌だったらまた伸ばせばいいだろう」
「そんなぁ」
「本気で抵抗しないって事はやってみたいんだろう?怖いとは言っていたけど、嫌とは言ってないもんな」

 図星だった。勇気さえ持てれば短くする事もあっただろう。

「……どのくらいにするの?」
「うーん。なるようになるんじゃないか」
「え? まさかノープラン?」
「そんなもんじゃないか。その方が面白いだろう?」
「全然面白くないから」
「じゃあ切るか。俺を信じろ」

 一体、何を持って信じろと言っているのだろうか。

「無理だから」
「どのくらいって決めてもさ、その通りに切れるとは限らないだろう? 素人だしさ。腹括れよ」
「えー!」

 抗議の声を上げたつもりだったが、伝わらなかったみたいだ。

「大丈夫だって。坊主にはしないから」
「当たり前でしょう!!」
「さて、まずは前髪を作るか。動くなよ」

 夫は正面に立って、前髪を額に下ろしてくる。長い前髪に前が見えない。目に髪が入りそうなので目を瞑った。

――どうか、変な髪型になりませんように!

『ジョキッ…バサッ…ジョキッ』

 眉のあたりにハサミの感触がする。

――あぁ最初からそんなに切ったら……

 不安だ。とっても不安だ。

『ジョキッ……ジョキッジョキッ』

 端まで切り終え、前髪を櫛でとかしている。

「もう少し切るか」

――え?まだ切るの?

 こちらの不安をよそに、さっきよりも高い位置にハサミが当たっている。かなり短い気がする。

『ジョキッジョキッ……ジョキッ、ジョキッ』

 目を開けると前髪は視界に入らなかった。鏡がないので分からないが、眉よりはるかに上だろう。クシャクシャと前髪をかき混ぜている。

「前髪、短い方がいいな」

 夫はそう呟くと背後に回っていった。自分の手で前髪に触れてみる。生え際から数センチくらいで手から離れていく。

「これ、短すぎない?」
「可愛いからいいじゃん」

 果たして本当にそうなのだろうか。自分の姿が見えないので何とも言えない。

 夫が後ろの髪を切り始める。ジョキジョキと音がする。時々ハサミが首筋に当たる。

――え、そんなに?短くない!?

 肩より上の短さにした事はない。そんなに短くして大丈夫なのだろうか。

「ここまで切ると結べないだろうな。でもまだ長いな」

 そんな事を言いながら、また髪を切っている。ハサミの当たる位置がさっきより上だ。

――これって襟足ギリギリじゃ……。

 そのくらい高い位置にハサミを入れられているようだ。

「ねぇ、もう十分切ったでしょ? まだ切るの?」

 夫の中々止まらないハサミに不安を覚える。鏡が無いので、どうなっているのかさっぱり分からない。

「大分短くなったけど、もうちょっとかな」

 まだ短くしたいらしい。

「せめて鏡を見せて」
「もうちょっと待って」

 ハサミが耳たぶ付近に触れた気がした。その瞬間、ジョキン!と耳元で大きな音がする。

 ――えっ?

 顎先で揺れていた髪が無くなっている。髪の感触があるのは耳のあたりまでだ。そのまま真横にスライドする様にハサミが動いている。信じられない長さに切られている。

――うそっ!?そんな所まで切るなんて……

 シャキンシャキンと軽快になってきたハサミの音が続いていた。



 夫はリビングから席を外していた。自分の髪に触れる。どうやら耳のあたりでパツンと切られているようだ。

 ――これ、おかっぱだよね

 正直鏡を見るのが怖い。今までの自分とは全くの別人みたいになっているだろう。その姿を見て受け入れられる自信はなかった。

 暫くして夫がリビングに戻ってきた。何やら白い棒状のものを持っている。自分も夫へ何度か使った事があり、見覚えがあった。

「バリカンを使うの!?」

 冗談じゃない。さすがに刈り上げにされるのは嫌だ。

「うん。そうしないと襟足が整わないからね」
「い、嫌、やめて」

 ふるふると首を横に振る。

「すぐ終わるから、もうちょっと我慢して」

 ビィーンとバリカンの音がする。

――え、ちょっと冗談でしょ!?

 夫は躊躇なく襟足からバリカンを入れてきた。

『ジジ、ザリザリザリ、ジジジ』

――ひぃっ!

 うなじにバリカンの刃があたる感覚がする。ジージーと何度もバリカンが当てられている。

「もっと刈りたいけど、このくらいで我慢しておく」

 ――もっとって、男の人じゃあるまいし……。

 今度はきバサミで髪をすいているようだ。バサバサと髪が落ちてきた。



「こんなもんかな。かなり雰囲気変わるな」

 夫はクシャクシャと髪を撫で回している。あんなに切れば変わって当たり前だろう。夫が手鏡を渡してきた。恐る恐る自分の姿を眺める。

「っ!?」

 声にならなかった。幼い子供がしそうな髪型だ。前髪は額の真ん中辺りでパツンと切られて、しっかり眉が出ている。サイドの髪は耳たぶが少し見えるあたりで真っ直ぐ切られていた。恐る恐る後ろの髪に触れると、サイドと同じラインで真っ直ぐに切られてるようだ。下の方はザリザリとした感触がしていた。

 ――本当に刈り上げられてる

 刈り上げのおかっぱと言えるだろう。かなり恥ずかしい。刈り上げを隠すように手で触れる。

「この隠せていない刈り上げが可愛いよね」

 私の手をどかして、夫が触れてくる。恥ずかしさも相まって、変な気分になる。

「恥ずかしいよ」
「そんな反応も新鮮だな。ハマりそうだ」

 また次も夫に髪を切られると思うと、頭痛がしてきそうだ。

後書き

思い立ったら直ぐに行動できる人は羨ましいです。自分は何日か悩んですぐに動けない質なので。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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