カトリック巡礼の三大聖地を知っていますか?(『カトリック生活』2021年11月号11頁所収)

エルサレム


キリスト者にとってはキリストの死と復活の地、ユダヤ人にとってはダビデ王による建国以来の都、イスラム教徒にとってはムハンマド昇天の地で、世界の代表的聖地といえる。
コンスタンティヌス大帝の命により、イエスの墓の調査が行われ、それをもとに聖墳墓教会が建立。大帝の母ヘレナはその頃(325〜329年)に聖地巡礼を行っている。その後、多くの巡礼者がヨーロッパからエルサレムに向かい、エルサレムだけでなくパレスチナのさまざま地を巡礼している。イエスとその母マリア、使徒たちの生涯と結びついたパレスチナはキリスト者にとって重要な地であった。5世紀初めまでにエルサレムとその周辺には巡礼者のために200カ所の修道院と宿泊所が建てられていたという。
16世紀〜20世紀の400年間、聖地は37回の占領を経験し、巡礼地の維持は困難を極めた。1917年、パレスチナがイギリスの委託統治下に入り、ヨーロッパから諸修道会が多く入ると、巡礼は再び盛んになり、多くの巡礼者が世界各地から集まることになる。

ローマ


「ローマ」は、ローマ教皇やローマ・カトリック教会という言葉からもわかるように、古代からカトリック教会の大切な地であり、中心地として多くの巡礼者を迎えている。
313年、コンスタンティヌス大帝がミラノ勅令を出してキリスト教を公認し、使徒ペトロの墓の上に教会を建てた。聖堂は巡礼地となり、付近には巡礼者のために宿泊施設も建てられた。ローマ巡礼の中心は、現在バチカン市国の中心にああたるサン・ピエトロ大聖堂であるが、それ以外にもローマ市内には初代教会の使徒パウロが埋葬された聖パウロ大聖堂、また殉教者ゆかりの地が多くある。

サンティアゴ・デ・コンポステラとその巡礼路


スペイン北西部ガリシア地方の商工業都市。7〜9世紀の伝承によると、十二使徒のひとり使徒ヤコブ(サンティアゴ)がスペインで宣教活動をして殉教し、埋葬された地だという。このため10世紀以降、それまで小さな村だったこの地に次々と聖堂や附属施設が建てられ、エルサレム、ローマに並ぶ三大聖地の一つとなった。コンポステラは「星の野」の意味。
巡礼者はさまざまな道をたどるが、人気は伝統的なフランスの街(ル・ピュイ、アルル、トゥールなど)から出発する「フランスの道」。すべて歩くと800〜900kmの距離で、1日平均30km歩くと1ヶ月かかる。その多くは徒歩で、自転車を使う人もいる。
スペインに入ると、巡礼の拠点の街が見えてくる。そこには巡礼事務所があり、名前を登録し、巡礼者の召命となる手帳を受け取る。サンティアゴ・デ・コンポステラで証明書がもらえる人は、徒歩で100km以上、自転車で200km以上という条件がある。この道は1993年に「サンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路」として、ユネスコの世界遺産に登録された。

※本記事はドン・ボスコ社の許可をいただき、『カトリック生活』の過去の記事を掲載しております。

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