見出し画像

教皇フランシスコとマルコ・ポッツア著『CREDO』の解説(2)                   阿部仲麻呂(東京カトリック神学院教授、サレジオ会司祭)

■聖霊を信じます
*対話3 聖霊を信じます(「使徒信条」第三段落)
*講話3 一致団結をもたらす聖霊
 まず、「使徒信条」第三段落についてながめます。マルコ・ポッツア師は教皇フランシスコに対して、「聖霊」の働きについて、たくさんの質問を投げかけています。教皇は「調和をもたらす専門家としての聖霊の働き」または「あらゆる人を調和させて美しいオーケストラの演奏を実現する指揮者」としての性質を徹底的に強調しています。しかも聖霊は「神の徹底的なへりくだりの姿」を現しています。御自身の愛情の豊かさ、つまりいのちの充満のすべてを捧げ尽くして、あまりにも寛大に御父のおしみない開きそのものを実践すべく相手を活かす聖霊の献身は、まさに自分の身を「からにする」(ケノーシス)御子イエス・キリストの生き方と連動しています。相手にいのちを与え尽くすという徹底的なへりくだりこそが三位一体の神の特長なのです。使徒パウロがフィリピ書2・6-11で引用している庶民のキリスト者たちが人知れず創り上げていた「キリスト讃歌」からもわかることですが、無名のキリスト者たちこそが事の真相(神のへりくだり)を一番熟知していたわけです。
 ところが三位一体の神の働きを思い巡らして感謝できないまま生きてしまう人間は各人の利益だけを独占的にねらう仕儀がエスカレートするていたらくなのであり、それゆえに常に地球上は分裂や戦争が横行する悪の巣窟となってしまうのです。神の慈愛深さに気づけずに無視する場合に、あらゆる人は自己中心的な利益追究に身をやつして虚しく枯渇するばかりとなります。この状態が、神から離れて勝手に滅びゆく罪の姿なのです。
 しかし、「神のお茶目ないたずら」が地上では頻繁に生じます。たとえば、神など信じないと叫ぶ藝術家たちが自分たちの予想に反して無意識のうちに神の愛情深さを適確に表現する作品を仕上げる場合もあるわけです。神は悪人を用いてさえも善良な実りを生じさせる実力を備えているからです。神の愛の働きとしての聖霊はおもいのままに吹き流れ、あらゆる人の心をゆさぶり、回心させ、新たな人としての歩みに押し出します。


■聖なる普遍の教会を信じます
*対話4 聖なる普遍の教会を信じます(「使徒信条」第四段落)
*講話4 教会は一つ
 次に、「使徒信条」第四段落についてながめます。マルコ・ポッツア師は教皇フランシスコに対して、「教会」の存在意義について、たくさんの質問を投げかけています。教皇は「秘跡としての教会共同体」を徹底的に強調しています。教会とは建物なのではなく、むしろ愛の枯渇した砂漠状態の人間社会において「御父である神の愛をあかしするしるし」あるいは「御子キリストの臨在のしるし」もしくは「聖霊の働きの実り」なのです。「秘跡」とは、見えない神の恵みが目に見えるしるしをとおして実感されることです。教会共同体そのものもあらゆる人によろこびと希望をもたらすための「しるし」あるいは「道具」として奉仕するときに存在意義を充実させることになるのです。他者を活かす奉仕の道具が教会です。
 全人類に対して三位一体の神の働きを目に見えるかたちであかしする教会共同体の団結について教皇は次のように述べています。「教会共同体は、あらゆる人のために一つなのです。……中略……たとえ遠く離れていたとしても、世界中に散らばっていたとしても、まるで家族のようにあらゆるキリスト者を束ねる深くて強い絆は、いかなる距離も乗り越えさせる親密さを生み出します。強烈な絆です」(『CREDO』ドン・ボスコ社、2022年、111頁)。
 それでは、あらゆる相手に奉仕して支え合う一致した共同体を創るには、いったいどのようにすればよいのでしょうか。教皇フランシスコの言葉を以下に引用しておきます。「謙虚さ、やさしさ、寛大さ、連帯を保つための愛が大事です! これらは一致をもたらす道であり、教会共同体の連帯のための真の方法なのです。もう一度、自分自身に問いかけてみましょう。自分の虚栄心には謙虚さを、プライドにこだわる頑固さにはへりくだる姿勢を保てますように。そして、常に他者に対してやさしさと寛大さを心がけて関わり、一体感を保てますように、と」(前掲書、114-115頁)。自分の狭い殻から出て相手の元に出向きましょう。

新たなるはじめに
 これまで「使徒信条」の第三段落と第四段落の要点を『CREDO』という翻訳書を手がかりにして簡単に紹介してみました。御父である神から派遣された御子イエス・キリストの連携は常に相手のしあわせを願って祝福する寛大さに支えられていますが、その慈愛深い思いやりの絶大なエネルギーが聖霊の働きとして、あらゆる分裂に終止符を打ち、さまざまな物事を連結させて壮大な一致状態としての調和をもたらすのです。その一致状態としての調和が教会共同体の目指すべき姿として初代教会の始まりを実現させました。使徒言行録を読めばわかります。言わば、聖霊の働きと教会共同体の結成は密接に関わっているのです。二千年の歴史を刻むキリスト者の共同体において、御父・御子・聖霊の慈愛深い一致の姿が「三位一体の神」として名指されてきました。その愛の響き合いの姿を模範として社会的な人間同士の協力関係を築きあげる努力の積み重ねをとおしてあらゆる人びとを一致させる役目を果たすのが「地の塩、世の光」としての教会共同体なのです。

2022年4月6日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?