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教皇フランシスコとマルコ・ポッツア著『CREDO』の解説(1)                 阿部仲麻呂(東京カトリック神学院教授、サレジオ会司祭)

はじめに
イタリアのパドヴァ教区の司祭マルコ・ポッツァ師は、これまで教皇フランシスコに三回以上インタビューしています。つまり『主の祈り』、『天使祝詞』、『使徒信条』という主題での語り合いをしてから単行本化しています。他にも『十字架の道行き』や『徳のある生き方』についてのインタビュー記録も書籍化されました。今回は、『使徒信条』という単行本をあなたに紹介しましょう。ちょうど、筆者は、2022年1月に、教皇フランシスコとマルコ・ポッツァ著『CREDO』という邦訳版をドン・ボスコ社から刊行しましたので。
 古来より伝わる「使徒信条」という祈り(毎週のミサの中で唱える信仰宣言の祈り)の言葉は8つの段落で成り立っています。最初の3つの段落は神への信頼を表明するためのものです。次の5つの段落は人間にとって重要な願いを捧げています。今回は、神への信頼についてながめてみましょう。つまり最初の3つの段落のうちの2つについて説明します。御父である神について、御子イエス・キリストについて、それぞれ見てゆきます。

■神を信じます
*対話1 神を信じます(「使徒信条」第一段落)
*講話1 慈愛そのものである神
 まず、「使徒信条」第一段落についてながめます。マルコ・ポッツア師は教皇フランシスコに対して、「神」の働きについて、たくさんの質問を投げかけています。教皇は「神のやさしさ」を徹底的に強調しています。教皇にとって、神とは私たちの罪深さを裁くような怖い判定者なのではなく、むしろ私たちを大切な子どもとして迎えてくださる忍耐強い親のような寛大な者なのです。教皇は神を「慈愛そのもの」として理解しています。
今や85歳の老境に達した教皇は彼自身の寿命が残り少ないことに気づいており、あとはひたすら神によって抱きしめてもらう日が来るのを楽しみにして人生の総まとめにとりかかりたいと述べているのですが、苦難の人生経験をとおして発見したことが「私を迎え入れて抱きしめてくれる神の寛大さ」だったのです。非常に実感のこもった神理解です。
相手をだきしめて、ひたすら受け容れて、いっしょにお祝いしてくださる理解者としての神の働きが「あがない」という特長にじゅうぶんに現れています。そして、神とは「人間を求めて出向く者」です。私たちは「人間が神を求めてもがいている」とおもいがちですが、むしろ神が先に私たちのほうに近づいてきて助けてくださるのです。

■イエス・キリストを信じます
*対話2 「使徒信条」第二段落 イエス・キリストを信じます
*講話2 キリストの中心性
 「使徒信条」第二段落についてながめます。マルコ師は教皇に対して、「イエス・キリスト」との関わりについて、さまざまな質問を浴びせかけています。教皇は「キリストの重要性」を繰り返し語っています。神の独り子としてこの世に派遣されて生まれてきた(受肉した)キリストこそが神の愛の最高の実現者として圧倒的なゆるしといやしを私たち人間に対して与えてくださるのです。つまり、私たちは「キリスト」と出会うことで、自分たちのかけがえのなさに気づかされ、愛を生きる者に変えられてゆくことになるのです。
 教皇はもともとホルヘという名前であり、少年時代や青年時代に「キリストが生きている」という実感を得ていました。若き日のホルヘにとっても、教皇として活躍する今もキリストは一貫してあらゆる物事の中心に位置する大切な相手なのです。教皇が少年時代にサッカーチームの会合に向かう途中で教会堂に入ってひざまずいて祈りを捧げていたときに、うやうやしくそばを通り過ぎた司祭の敬虔さに感動して、おもわずゆるしの秘跡を申し込んで、自分の罪深さを全部告白してキリストに従って生きる決意を固めたのでした。その日は使徒マタイの記念日でした。ホルヘは教皇就任の際にマタイの召し出しに関する聖書箇所を解説した聖ベーダの言葉を紋章に刻み込みました。少年時代の決意の日から40周年を迎えた年に教皇として歩み始めたわけです。ゆえに教皇はキリストに従うことを重視します。
そして、青年時代の21歳のときにホルヘは重い肋膜炎をわずらい、右肺の一部を切除する手術を受けました。入院生活は連日連夜の肺の痛みによって地獄の日々となりました。もはや健康には暮らせない不自由な身体となってしまい、ホルヘは自分の境遇を呪い、健康な仲間たちに嫉妬し、神に対しても怒りをぶつけたことでしょう。しかし、シスター・ドローレスが見舞いに訪れ、ホルヘの手を丁寧に握って「あなたは、今、キリストといっしょに苦しんでいるのですよ」と耳元でささやいてから帰途につきました。幼き日に幼児洗礼式に立ち会い、初聖体準備の勉強の面倒を見てくれたやさしいシスターのひとことがホルヘの苦痛をなぐさめ、意味のある理解の仕方を身につけさせました。病院での痛みの日々が、実はキリストとともに十字架の死の苦しみを生きることであり、痛みそのものが人びとを愛し抜く祈りそのものになることに、ホルヘは気づいたのでした。痛みが祈りとなり、入院生活はキリストとともに歩む十字架の道の現場となりました。
その苦痛の経験が翌年のイエズス会入会として実ります。常にキリストとともに歩む現場を経験するホルヘは教皇に就任してからも霊的指導者としての公文書や講話や説教を世に送り出しており、数多くの人びとに対してキリストと出会って人生を見究めること(識別)を強く勧めています。「キリストとともに生きること」がキリスト者の信仰生活なのです。
人生の確かな道筋を示してくれるキリストと出会って、関わりつづけて、いっしょに歩むこと(ギリシア語の「シュン[いっしょに]」+「ホドス[道を歩むこと]」→ラテン語の「シノドス[キリストという道を仲間といっしょに歩むこと]」)がキリスト者の人生そのものなのです。聖書の使徒言行録に描かれている一世紀のエルサレム使徒会議が「キリストの姿勢を基準にしてキリスト者の生き方を定める見究め」(識別)のひとときであり、その作業が教皇パウロ六世以降の「世界代表司教会議」(シノドス)という制度にまで発展しています。教皇フランシスコは2023年10月の第16回通常「世界代表司教会議」を初代教会のエルサレム使徒会議の頃のあらゆるキリスト者同士の真剣な話し合いの場と同じ空気感のもとで開催しようと考えており、2021年から「キリストとともに歩む」訓練を積み重ねるように各小教区現場のあらゆるキリスト者にも呼びかけているのです。相手を利用して利益を独占する悪意に満ちた人類社会の現実に対して、キリスト者は今や全員で総力戦を繰り広げているのです。

新たなるはじめに
 「使徒信条」の第一段落と第二段落の要点を『CREDO』という翻訳書を手がかりにして簡単に紹介してみました。相手を大切な子どもとして迎え入れて抱きしめる父としての神の寛大さを伝えるためだけにこの世に生まれてきた独り子イエス・キリストという長男と出会うことで、私たちも妹や弟として神の家族の一員となることができます。御父である神と長男のイエス・キリストとともに家族のあたたかい交流を愉しむことができますように。
                                 2022年4月5日




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■阿部仲麻呂(Nakamaro ABE) 略歴            
1968年東京都出身。1982年受洗、1990年サレジオ会入会、1997年司祭叙階。現在、神学博士(専攻;基礎神学、教義神学、教父神学)、日本カトリック神学会理事、日本宣教学会常任理事、日本カトリック教育学会常任理事。東京カトリック神学院教授、福岡カトリック神学院・上智大学・桜美林大学兼任講師。2010年から全国約450箇所で信徒の信仰講座や諸教区・諸修道会司祭の黙想指導に携わる。


[主要著書]①『信仰の美學』(春風社、2005年)、②『神さまにつつまれて』(オリエンス宗教研究所、2007年)、③『使徒信条を詠む』(教友社、2014年、2021年再版)。

[訳書]㉕『カトリック教会のカテキズム要約[コンペンディウム]』(カトリック中央協議会、2010年)。㉖ジャック・デュプイ著(阿部仲麻呂監修・訳註・解説、越知健・越知倫子訳)『キリスト教と諸宗教―対決から対話へ』(教友社、2018年、2021年再版)。㉗教皇フランシスコ、
マルコ・ポッツァ著『CREDO』(ドン・ボスコ社、2022年)。

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