人生、感じたもん勝ち
みんなが「美味しい」と言うご馳走があっても、わたしがそれを「美味しい」と感じないと意味がないように。
人生はわたしの感覚でできているから、感じられないとそれは"存在しない"のと同じになる。
だから、人生、感じたもん勝ち。
心身の調子を崩してしんどい時も
小説を書いて没頭している時も
音楽に感じ入っている時も
味を感じなくなって泣いていた時も
何も楽しいと感じられずに皮膚をつねっていた時も
人との別離に喘ぐ時も
それはすべて私の感覚で。
落ち込みがあるほど、高低の幅が大きくなり
落ち込みがない人より、人生の幅が広くなる。
人間として生きることが「感じる」ことと同義ならば
わたしは既に人間として十分に生きてきたし
これから何十年も生き続けるだろう。
わたしの入れ物であるこの肉体はいつか必ず壊れて
"わたし"はこの三次元の世界からいなくなるけれど
わたしが感じたこの世界はわたしにとっての事実で。
その感覚=真実を得るためにこの世界を生きるのも
悪くないと思う。
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