見出し画像

日誌(21/365 補助線があるとちょうどよい話が)

この日誌は金沢から京都にむかう特急サンダーバードの中で書いています。
1月末から2月中旬にかけて、神奈川、岡山、島根、大分、富山とあちこち出張している。とても疲れるけど出張は大好きで、見たことない景色、行ったことない土地、食べたことない食べ物に多く出会える。おそらく、人一倍疲れやすいし、帰宅後の気の抜けようは凄まじい。けれど、出張は大好き。生涯現役という方がいらっしゃるように、私は生涯出張で生きていきたいと思う。

さて本日の本題は、補助線についてです。
実は、上の文章でも補助線を使っていて、『〇〇〇について』と書くことで、テーマを明らかにできる。
これは読み手・書き手いずれも対象にしている。
読み手からすれば、あーこれから補助線の話するんだなぁと認識できる。
書き手からすれば、よし!補助線の話するぞーと脱線を避けられる。
何かをするとき(上のケースは文章を書くとき)に補助線があるとスムーズに入りやすい。補助線は事象によってアレコレあって、紙を切り離すときはキリトリ線があったり、紙のノートに文字を記すときは罫線があったり、写真を撮る時はグリッドがあったりする。
補助線があることが当たり前で、誰かに用意された補助線の上を生きている。そんな気分になることがある。
フリーハンドで何かをつくるときも、参考にするものやイメージを持って臨む。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?