シン・エヴァ見てきた

ネタばれは無し。でも感想は言わせて。少しの情報も入れたくないなら見ない方がいいですが、そこまでの人は多分ちゃんとネタバレふまずに見に行ってると信じていますw
私は公開からtwitterとかは極力避けて、「ヴァ」という文字を認識した瞬間に閉じてました(笑)。

最高

まじで最高だった。どこの場面というわけでもなく、泣かせに来てるわけじゃない、お涙頂戴シーンではないところでいろんな感情があふれて泣いてしまった。

そして映画が終わった瞬間に自分の青春が終わって、映画も自分も「着地」した瞬間になった。

25年も浮遊し続けたコンテンツ。ず~~~~~っと終わらなかったコンテンツが幕を閉じる。すべてのコンテンツで最大とも思われる大風呂敷を折りたたむ事を意味する最後のエヴァ。最初にTVシリーズを見てた時とは違う色と、違う模様になっていたけれど、ちゃんと綺麗に折りたたんであってその形に私は心底満足しました。

思えばTVシリーズが始まった時に、時代はまだノストラダムスの神話が残っていた。バブルの神話は綺麗に消えて、みんなが目的も見つけられずフワフワと生きていた時代。そこに強力な暴力として阪神大震災とサリン事件がぶち込まれ、人々はどこを目指して生きていけばいいかわからなくなっていた時だ。

私もわからなかったし、私の親もわからなかったのだろう。

僕らはどう生きるべきか。
そういった事にちゃんと向き合わずに、もう一つのセカイに夢中にさせてくれたのがエヴァだった。そこにあったものは、このつまらない「終わりなき日常」ではない、完全に新しい謎が組み込まれたパズルだった。僕らはそのパズルに夢中になって解き明かそうとした。そこにはきっと「新しい答え」があるんだって。

パズルの仕組みはそれこそ無数の推論と研究により解き明かされて、「だいたいこういう事だよね」という事はわかってきた。しかしその「本当のテーマ」はなんなのか、すくなくともQの時点ではわかっていない。

僕らはうすうす気づいてたんだ。だってもう大人になってしまったのだから。もう僕らは14歳ではないんだ。

そこに新しい答えなんて無いんだって。

それを日本人が改めて認識できたのは東北の震災、原発、そしてコロナなのかもしれない。僕らはもう答えを持っている、持っていなくてはいけない時期に来ているんだ。

よく思い出して欲しい。当時TVシリーズのシンジに対して僕ら(の少なくとも何割か)は普通に「ウダウダ言ってないで乗れよ」って思ってたんだ。当時はそれが当たり前だったんだよ。

でも、時代は確実に変わった。再放送のTwitterではシンジに対するNERVやゲンドウの対応の問題を指摘している。日本も変わったし、私も変わった。子供を成人まで育てれば、そりゃあ人だって変わる。
庵野さんも変わった。戦友であり、妻でもあるモヨコ嬢の存在も大きいんだろう。
そして、それの答えが出る。

それを確認する為にエヴァを見に行った。
もう私の膀胱はエヴァに夢中になっていたころとは違って、我慢がたりなくなっているので、水分補給を極力減らしつつ、前日からの体調管理も含めて全集中して2時間35分の最後のエヴァンゲリオンを見た。

1分の無駄なシーンもなく、期待を大きく上回る巨大なものの戦いに子供のようにはしゃいで、25年も見続けたキャラクターたちの出した答えを見届けた。こんなに集中して何かを見たのはは久しぶりだ。

全て納得出来た。ちゃんと終わってくれた。やっぱり僕はその答えをちゃんと見つけられていたし、エヴァのキャラクターの見つけた答えと似ていた。
もう僕はエヴァンゲリオンの神話が無くても生きていける。これだけの長い間楽しませてくれた事に感謝の気持ちしかないし、この作品と共に年を重ねられた事は幸運だったと思う。

ありがとう、緒方恵美さん。
ありがとう、庵野監督。

さようなら、そしてありがとう、全てのエヴァンゲリオン。



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