シテール島-喜びの島への船出

浮遊する和声感、旋回する音形…ドビュッシーによって描かれた《喜びの島》は、このような音楽的工夫によって、どこか宙に浮いたような、独特の世界観を作り上げている。ドビュッシーが印象主義の作曲家か、象徴主義の作曲家か、という議論はたびたび発生するが、印象主義的な、水の揺らぎに通ずるものも感じられるし、或いは象徴主義的に、人間の内面に渦巻く感情を描いた音楽にも感じられる。
この曲は、ヴァトーの絵画《シテール島への船出》に基づく作品であると考えられてきた。背景に渦巻く色彩感は、まるで喜びと哀しみとが混じり合った、人間の心の内を暴いたかのよう。

アントワーヌ・ヴァトー《シテール島への船出》1718-19頃


シテール島とは、恋人たちが巡礼することにより愛が成就する、という伝説の島である。《シテール島への船出》は、タイトルのとおり、これから島へ向かい、彼らの愛を成就させる恋人たちを描いているはずであるが、この作品は《シテール島「からの」船出》である、という見解もある。この作品が示す恋人たちの心情は、これから向かう愛の島への希望か、はたまた愛の島で過ごした夢のような時間から、現実世界への帰途で抱えた不安、失望なのか…この作品に描かれた風景は、見る者によって、幸せに満ち満ちた空間にも、どこかに寂しさや哀しい現実味を感じさせる空間にもなり得るのだ。
最近では、《喜びの島》と《シテール島への船出》との因果関係は、後世に出来上がった伝説と誤解に過ぎない、という説が一般的になりつつある。しかし、ヴァトーの作品の解釈が鑑賞者の数だけ存在すること、その中には対立する意見も発生しているように、ドビュッシーの作品からも、幸せを感じることもできれば、哀愁を感じることもできる、ということは、それ自体が両作品の大きな共通点ではないだろうか。

あなたの耳に届く《喜びの島》ー愛を成就させる恋人たちは、果たしてどのような感情を語りかけるだろう。

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