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2019.5.29 日米開戦に最後まで反対した男

20世紀初め頃、当時の欧米列強は世界の85%を支配していました。

植民地では徹底した人種差別が行われていました。


奴隷にした住民に、農作業の過酷なノルマを課し、ノルマが達成できなかったら、その住民の手足を切り落としたりしました。

体を一刀両断にして腕を競い合い、賭け事もしました。

母親から乳飲み子を奪い、川に捨てたということも伝えられています…。

さらに反乱に対しては、見せしめとして捕虜を焼き殺しました。



吐き気を催すような凄まじい殺戮が繰り返されていました。

白人以外は家畜同然でした…。


日本が欧米列強に呑み込まれる…。

戦争に負けるということは、日本人全員が白人の奴隷となることを意味していました。

日本人には一切の私権が無くなり、教育も奪われ、
米英の植民地奴隷に成り下がる…。

それが当時の「世界の常識」でした…。


「最早日米開戦止む無し!」
「鬼畜米英」
「進め!一億火の玉だ」

当時の新聞紙面には勇ましい論調が並び、日本国民全体が戦争を支持していました。


海軍大将だった永野修身は最後まで開戦に反対しました。

日露戦争を経験し、愛する仲間たちを失う悲しみを味わったことのある永野。

教養に溢れ、大変に思慮深かった人物でした。
永野は米国との国力差を十分に理解していました。

昭和天皇に意見を求められると、永野は率直に述べました。

永野の言葉を聞いた周囲の者は皆、ただうなだれ、しばらく言葉を発することができなかったと言います。

敗戦すると分かっていた戦いに挑んだ永野。

戦争に託された永野の思い……。

米国をよく知る彼だったからこそ正論を説き、戦後A級戦犯として扱われ、見せしめのような最期を迎えた永野。

最後まで陛下を戦犯から守り、潔さを良しとした毅然とした誇りある真の軍人でありつつ、情け深い心をもっていた永野。

先人の一人として知っておくべき偉大な人物ではないでしょうか。

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