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ポスプロで感じる海外との文化のちがい【後編】

さて後編では、
実際に海外作品のアフレコや字幕入れの作業などに関わるなかで、文化や習慣の違いを感じたエピソードを具体的にご紹介します!


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名前をフルネームで呼ぶ

学校の出席確認かのように、近しい人もフルネームで呼ぶので戸惑いました。日本で放送する際に常にフルネームでは不自然なので、先方と確認しながら統一していった記憶があります。

急に奇妙なダンス

その時の流行りのポーズやダンスがさりげなく作品に出てくることはありますが(アドリブ含め)、突然ガイコツダンス?のようなものを始めたときは「これはどんな感情を表しているのか」と真剣に考察してしまいました。問い合わせたら、なんてことはない当国で大流行中のダンスの振りでした。

よく失神する

演出過多なのか、本当によく失神(気絶)するのか、どちらなのかわかりませんが…。
例えば海外ドラマを日本の放送尺に合わせて一部カットすることがあるのですが、日本のドラマですと失神描写がもしあったら絶対にマストなシーンとなるのでカットなどあり得ないですが、あまりに日常的に失神されると、カット対象にすらなり得てしまうかもしれませんね。

食事シーンが多い

しかも毎回がっつり結構な量を食べている。え!もう次のご飯時間??となりますよね。
逆に、別の国の作品では、え?朝ご飯それだけ?おやつじゃなくて?と思うこともあり。
他国と日本の食文化の違いは奥深過ぎて尽きないですね。

謎の儀式

胸やけしたら、針で指を刺し血を出すというシーンがあり、初めて観た時は何をしているのかさっぱり??なことがありました。独特の民間療法だったようです。
しゃっくりの止め方なんかも各国でそれぞれポピュラーなやり方があるのでしょうが、知らずに突然されたらきっと一瞬固まってしまうでしょうね。



(さいごにちょっと違った角度から…)

「Oh my God」を「なんてことだ!」

英語が日本の会話の中でもポピュラーになってきたため、カタカナ英語として浸透している言葉に関してもわざわざ意訳をしている字幕を見ると、どこまで丁寧に噛み砕くべきなのか、“翻訳の難しさ”を感じます。



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なるほどなるほど。
確かに現代の英語教育の発展をみると、将来的に字幕の在り方は変わってくるかも知れませんね。
さらには自動翻訳も発達していることから、語学的な不自由はどんどん無くなることでしょう。
それでも文化や習慣的な面から見れば、細かい違和感は意外と散りばめられています。
この違和感の元をなるべく自然にわかりやすく変換し、きめ細やかな目線を意識して視聴者にお届けするのが我々の仕事であります!

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